吉川徹著『現代日本の「社会の心」』(2014)メモ

現代日本の「社会の心」 -- 計量社会意識論

現代日本の「社会の心」 -- 計量社会意識論

私たちは,いまどのような社会を心に描き,いかなる価値に基づいて生きているのだろう。本書はそうした「社会の心」の姿を調査データから論じる。「総中流」や「格差」など,人々が心に描いてきた社会の変化を計量社会学から再検証し,更新する最新の現代社会論。

 序章 「社会の心」を計量する
第1部 社会意識論の再構築
 第1章 社会意識の捉え方
 第2章 計量社会意識論の作法
第2部 アイデンティフィケーションの軌跡
 第3章 一九八五年の日本
 第4章 総中流現象の正体
 第5章 総中流社会から総格差社会
第3部 オリエンテーションのゆくえ
 第6章 伝統─近代主義の静かな退役
 第7章 主義なき時代
 第8章 QOL志向の密かな時代変化
 終 章 覚醒性・直結性・再帰性

p.28「現在、(日本の)社会学辞典をひもとけば、わたしたちは「社会意識」「社会意識論」という項目において、おおよそ統一された解説を見出すことができる。これらはいずれも、1960〜70年代に、見田宗介および宮島喬によって確率された考え方に基いている。後に日本の現代社会学を牽引していくことになるこの二人は、この頃はまだ気鋭の若手研究者だったのおだが、かれらこそが、現代社会意識論の事実上の「創業者」にして「オーナー」というべき人たちなのだ」
p.44 註4「社会意識論の原型である社会心理の研究(社会学社会心理学)にかんしては、1950〜60年代における日高六郎高橋徹、辻村明らの研究に起点をおく見方もできる」
p.33「さらに、そこ(「オーナー」が社会意識論を実践しなかったこと)には第二の事情として、国内の一線級の研究者間の「棲み分け」がかかわっている。見田は1960〜70年代の階層調査を主導した安田(三郎)との間で、質的データ分析と量的データ分析の方法をめぐって論争を経験している(佐藤 2011)。この論争は、雌雄を決するというかたちで決着したわけではないのだが、その後両者は相互交流の少ない状態になっている(註7)。見田にとって、安田らのSSM調査研究グループ(後述)との間の迂遠な関係は、階級・階層という不可欠のキー概念から距離をおくことを余儀なくさせるものとなっていたようにみえる」
p.42 註7「日本の社会有学に、シカゴ学派アナール学派……というような、学派があるという見方はあまりなされない。けれども社会意識論の視座で、質的・量的という方法論を考える時、「本郷学派」と「駒場学派」のようなものがおぼろげながらみえてくる。つまり、東京大学本郷キャンパス(文学部社会学研究室)の尾高や安田らと、駒場キャンパス(教養学部相関社会科学)の見田らは、社会意識の扱い方が対称的なのだ。
 学史を振り返れば、富永健一らの階層研究グループが、高度経済成長期の中間層を1975年SSM調査によって測りだしていたとき、見田は「まなざしの地獄」という論考に、死刑囚の心情の読み解きという対称的なアプローチで高度経済成長期の日本社会の姿を描いている(見田 1979)近年では、盛山和夫佐藤健二が質的方法と量的方法の交錯状況についてそれぞれの見解を示しているが(盛山 2004、佐藤 2011)、そうした方法論の整理が必要とされること自体が、この「棲み分け」の状況を物語っている。根は同じ社会意識論であるはずの階層意識研究と「文化の社会学」の断行状態は、この歴史のうえに成り立っているとみることができる」
佐藤 2011

社会調査史のリテラシー

社会調査史のリテラシー

盛山 2004
社会調査法入門 (有斐閣ブックス)

社会調査法入門 (有斐閣ブックス)

p.36「方法論的個人主義により精緻なエビデンスを獲得するか、方法の縛りから自由になって社会的事実をダイナミックに了解するか。計量社会意識論と「文化の社会学」には一長一短がある。ただし、1980年代以降の四半世紀の日本の社会学をふり返ると、調査計量は決して主流の方法とはなっていない(太郎丸・阪口・宮田 2009)。空間的にも概念的にも越境的拡大を続ける現代社会について、思弁的ないしは質的なアプローチで対応していく研究が長く優勢であったのだ。この時代の日本社会学の泰斗たる見田や宮島の研究の歩みは、この潮流を裏づけるものといえる。その一方で社会意識論は、自由なアプローチで展開する「文化の社会学」の出現によって、かえって計量的性格を明確にしていくことになったのだった」
※太郎丸博・阪口祐介・宮田尚子「ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド 1952–2008」【pdf
p.81「1985年の社会情勢については、すでに吉崎達彦が『1985年』という著作に的確にまとめている。
1985年(新潮新書)

1985年(新潮新書)

p.87 日本人論「その代表的な論客としては、中根千枝(1967)、山本七平(1983)、土井健郎(1971)、間宏(1971)、村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎1984)、山崎正和1984)などを挙げることができる」「日本人論についてh,少し時代が下ってから青木保が、きわめて適切な整理を行っている(青木 1990)。青木は1980年代前半を日本文化論の「肯定的特殊性」の時代であったとみる」p.97 註2「戦後社会について「詳しく調べてみると、じつは◯◯だった」という具合に、学術的な議論の書き換えを行う余地がまだあるということは否定しない。だがそうした旧理論の書き換えは、結局は論点を矮小化していく。いつまでも戦後や高度経済成長という昭和史をしゃぶり尽くそうとするいじましい社会学は、そろそろ終わりにしなければならない」