吉見俊哉著『都市のドラマトゥルギー ー東京・盛り場の社会史』(1987)メモ

都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

盛り場の分析を通して近代日本の都市化を描く。〈近代〉が具象的な目に見えるかたちをとって定在する場所が〈都市〉という空間である。「上演論的パースペクティヴ」を視座に浅草・銀座・新宿・渋谷の都市空間の鮮明な対比を骨格とした厚味のある社会史研究。

■目次
・序章 盛り場へのアプローチ
・I章 盛り場研究の系譜
 1.盛り場と民衆娯楽/権田保之助
 2.盛り場とモダン生活/今和次郎
 3.盛り場と都心機能/磯村英一
 結 「盛り場=出来事」研究に向けて
・II章 博覧会と盛り場の明治
 1.原型としての博覧会-上演I
 2.盛り場におけるまなざしの近代-上演II・IIIへ
 結 1970年代の都市空間における「開花」の位相
・III章 盛り場の1920年
 1.トポスとしての「浅草」-上演II
 2.「浅草」から「銀座」へ
 結 1910〜30年代の都市空間における「モダン」の位相
・IV章 盛り場の1970年代
 1.トポスとしての「新宿」-上演IV
 2.「新宿」から「渋谷」へ-上演V
 結 1960〜80年代の都市空間における「ポストモダン」の位相
・終章 近代日本と盛り場の上演
・注
・あとがき
・文庫版へのあとがき 20年後の「都市のドラマトゥルギー

p.281「「銀座には、丸の内などのOffice・ビジネス地域から来る昼間人口という支配者がいるが、新宿にはそれがない」」「と、深作(光貞)は昭和43年に出版された『新宿考現学』のなかで書いている。地方から上京した若者たちにとって、シックすぎる銀座は入りにくく、すでに伝統の街となっていた浅草は疎遠で、渋谷は水増しされたようで物足りなく、池袋はヤクザが怖いと言われ、結局、気軽に安心して先端の文化・芸術に浸れる盛り場としては新宿以外になかったのだ」
p.286(新宿)「東口では60年代のアングラ文化の拠点のひとつだった風月堂が閉店」
p.310「〈新宿的なるもの〉と〈渋谷的なるもの〉の関係を、両者を成り立たせている時間ー空間構造の水準で対比させるなら、これまでの議論からも明らかなように、この二つの盛り場の関係は、前章で論じた〈浅草的なるもの〉と〈銀座的なるもの〉の関係とさしあたりは同型的である。すなわち、一方の60年代までの「新宿」が、出来事がそこに集う人びとに共有される幻想の共同性に基いて紡ぎ出されてくるような盛り場であったとするなら、他方の70年代以降の「渋谷」は、それらが先送りされる〈未来〉からの意味の備給によって保証されている盛り場である」