伊奈正人著『サブカルチャーの社会学』(1999)メモ

サブカルチャーの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

サブカルチャーの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

サブカルチャーは必要か? “なくてもよい”という「サブカルチャー的余裕」の条件を「サブカルチャーサブカルチャー」のフィールドワークを通して読み解く社会学的想像力。「バリアフリーサブカルチャー」を探求する文化装置論の試行。

■目次
1 サブカルチャーという文化装置

2 問題としてのサブカルチャー
(1)主題と定義
(2)「サブカルチャーはなくてもいい」か?
(3)サブカルチャーサブカルチャー
(4)「サブカルチャー的な知」の問題
(5)「文化装置」論からの問題整理

2 サブカルチャーサブカルチャー

2 地域文化としてのサブカルチャー――「文化シーン」の多様化という観点から
(1)はじめに――2の構成と本章に位置づけ
(2)サブカルチャーをめぐる暗黙の前提
(3)「中心と周縁」をめぐる問題の整理
(4)基本概念の提示――「文化シーン」と「もう一つの地域文化」
(5)文化の融合
(6)仮説的論点
(7)調査の概要について
(8)ミニシアターの誕生
(9)『虹をつかむ男』からの出発
(10)小括

3 インディペンデント・シーン
(1)はじめに
(2)「大学闘争」の場から
(3)インディペンデントの場を求めて
(4)「映画の残像」
(5)映画を語る「場」
(6)映画の冒頭
(7)インディペンデント・シーン
(8)文化行政について
(9)映画祭実行とこれからの展望
(10)小括

4 アンダーグラウンド・シーン
(1)はじめに――「アンダーグラウンドなもの」をめぐって
(2)文化的拠点としてのライブハウス
(3)写真から「マルチメディア・クリエーター」
(4)『映画の発見』
(5)エクスパンデッド・シネマ
(6)『共同性の地平を求めて』
(7)「ゴア・トランス・テクノ」
(8)「ポスト・サイバーパンク
(9)小括

5 地方の地方
(1)「地方の地方」
(2)「文化シーン」を創造する井戸端会議
(3)シナリオライターへ/から
(4)家具の展示場をミニホールに改造する
(5)裸祭りの観音寺で「上々タイ風」
(6)あくまでも井戸端会議
(7)文化行政への意見
(8)「周縁」を楽しむ「逆転の発想」
(9)小括

3 サブカルチャーという知のスタイル

6 「大衆化」と「サブカルチャー
(1)後半各章の構成と主題
(2)「社会と知のサブカルチャー化」への視点
(3)「プラグマティズム」と「サブカルチャー的な知」
(4)「大衆化」と「サブカルチャー的な知」
(5)「大衆論」と「脱産業化」
(6)「大衆論」と「雑種性」

7 「とらわれない知」から「サブカルチャー的な知」へ
(1)「柔軟性」を疎外するもの
(2)「ハイブリッドなミルズ」――「アメリカ」への「こだわり」と「雑種性」
(3)「イデオロギー」――「歴史の目的地」への「こだわり」
(4)「個」への「こだわり」
(5)「多数」への「こだわり」と「テクノクラシー
(6)「呪文の政治」
(7)「呪文の政治」と「呪文の抑制」
(8)「呪文のドラマ」
(9)「呪文のカタログ」と「立場のゲーム」
(10)小括

8 マニュアル人間のゲームとドラマ
(1)本章の問題と構成
(2)「マニュアル文化」としての「受験文化」「大学文化」
(3)マニュアル人間の悲劇――校門圧死事件
(4)正義のマニュアル
(5)社会制御とマニュアル思考
(6)マニュアル人間の制御機能
(7)「マニュアル化」も極限
(8)「遊びの社会学」をめぐって――むすびにかえて

あとがき
文献
索引

※ とりわけ、2,3章で展開される、岡山市の映画上映運動に関する論述は抜群に面白かった。映画環境に関するこうした研究が各自治体で同じくまとめられれば、どれほどの価値があるかと想像してしまう。
p.37

社会学になにができるか

社会学になにができるか

p.45「下町育ちの吉本隆明の、新宿にたむろする文化左翼への激烈な嫌悪」、「江藤淳の、ファナティックなるものへの嫌悪」
思想としての東京―近代文学史論ノート (講談社文芸文庫)

思想としての東京―近代文学史論ノート (講談社文芸文庫)

p.236 まとめ。「サブカルチャーサブカルチャー
1.「下位の文化」:ゆたかな中心都市に剥奪された地方での「サブカルチャー的なもの」への「切実な渇望」
2.「上位の飼い慣らし」:構造的部分として、一定の自律性を獲得したサブカルチャーが、メインを飼い慣らす。
3.「上位の上位」