中国ネット事情にみる統治の原理

 2月20日付の読売新聞朝刊に、2月14日に本紙掲載されたウォール・ストリート・ジャーナルの記事が翻訳されていた。「中国ネット検閲 ビジネスに影」という見出しの同記事は、いまやお馴染みとなった中国国内の言論統制に関するものである。住宅開発のため3次元画像作成を行う在中の外国企業が、スウェーデンの顧客からファイルを受信しようと試みたがうまくいかないという。しばらくして原因が判明した。受信しようとしたファイル名に「Falun」という語が含まれていたのが問題だったようだ。スウェーデンの地名を意味するこの語が、中国で禁止されている気功団体「法輪功(Falun Gong)」の一部として認識されていたのだ。ファイル名を変更してもらい受信すると問題なく受信された。本国の企業や中国に関わる海外企業はこうした検閲による劣悪なインターネット環境に頭を悩ませている。アナリストによれば、最大の問題は「グレート・ファイアウォール」と呼ばれる、海外サイトへの接続を排除、遅延させるネット検閲技術らしい。こうした検閲の目的は言うまでもない。中国政府の国内統治に悪影響を与えかねない海外の情報を遮断するためである。中国政府は法輪功をカルト団体に指定し、投獄、虐待するなど長年弾圧を続けてきた。

 おそらく読売新聞がこの記事を翻訳掲載したのは、「国民」の表現の自由を脅かす中国政府などといういまや陳腐化した物語を喧伝し、同国へのネガティブな印象を読者に与える思惑があるのだろう。編集部が意図しようがしまいが新聞の「色」はこういうところに出てくるものだ。しかしこの記事から読み取れるのは、読売新聞が流布する統制主義的な中国だけではない。それどころか、「人民」に怯える政府というまるで異なる中国イメージですらある。どういうことか。

 考察を深めるために、主権国家に関する知識を振り返っておこう。そもそも主権国家体制とは、中世の普遍世界の崩壊にともなって、16,17世紀のヨーロッパで形成された近代的な国家の存立形式と国家間秩序のことである。中世の時代においては、封建領主が私兵を統率することで、国境の範囲が曖昧で国民という概念も未成熟な領域的広がりを治め、近隣の領主間と支配領域に関する暗黙の合意を交わすことで秩序が維持されていた。領域、人民、権力の三要素を満たすものを主権国家とみなすイェリネックの古典的定義を引き合いに出すまでもなく、主権国家体制は中世秩序に代わって、明確に策定された領域内にて、王国に排他的な忠誠を誓う常備軍保有し、能率を重視する非人格的な結びつきをもった官僚制が行政を担うという中央集権化した主権国家をその構成要素とするのは周知の事実である。主権国家を統一された秩序空間として認識させるためには、国家利益を直接的に代表するのが王家や貴族などの世襲身分ではなく、平等な「国民」であるという「われわれ」意識が必要であった。歴史的にこのような目的を果たすためにナショナリズムは、場合によっては均質で空虚な空間的広がりをもった領域を獲得せんとする統治権力による縦からの強制によって(公定ナショナリズム)、あるいは主権在民を求める市民の横のつながりによって(下からのナショナリズム醸造され植え付けられた。このような歴史的経緯を振り返ってみれば、主権国家の起源がヨーロッパにあることは瞭然としている。

 ならば中国は、こうした主権国家の枠組みに収まるものだろうか。いうまでもなく共通の民族、言語などを基盤とする国民国家(ネイション)の誕生は近代的現象である。それゆえ、「中国はいつから存在するのか」という問いそのものが、清朝の瓦解から中華民国成立に至る近代的ネイション中国の定立を前提条件としてはじめて遡ることのできる仮構的な問題設定に過ぎない。しかし、このような構成主義的なナショナリズム論は一旦脇において考えたい。歴代王朝を遡行して中国の起源を発見する考え方は確かに間違っている。しかし、中国史をそのように断絶せしめる構成主義、並びに国民国家そのものがヨーロッパ由来の概念であるならば、このモデルに中国史が適用可能であるかの可否は問われてもよいはずである。

 とはいえこの問いはあまりにも壮大であり、とてもここで扱えるテーマではない。だが差し当たって次の問題に触れておきたい。それは国家と宗教の関係である。中世ヨーロッパにおいて、統治権力たる王権と精神的基盤である宗教の関係は王権神授説として現れた。楕円のふたつの焦点のように権力を分有していた教皇権に対抗するため、王権は支配の正統性を調達するべく神聖性や霊性を民衆の心性のうちに獲得して、超自然的権威を帯びた崇高な存在として儀礼・祝祭を司るカリスマを演じる必要があった。中世末期になると、封建領主に隷属する農奴を労働力としてきた荘園制は行き詰まり、新興ブルジョワジーの台頭によって王権の正統性が脅かされるようになると、王はみずからの支配権は神から授けられたものであるという王権神授説を唱え、権力の正当化を図らなければならなかった。しかし17世紀以降、王権神授説は社会契約説にその座を明け渡すことになる。統治権力が宗教をも統括する王権の神政政治に対抗して、ピューリタン革命や名誉革命など主権在民を求める市民革命が相次いで蜂起され、議会王政が確立することになる。こうした情勢のなかで、君主の支配権は国民との契約によって基礎づけられるという社会契約説がホッブズやロックによって唱えられ、王権神授説は次第に否定されるようになる。こうして統治権力が宗教的聖性を帯びる中世的神政政治は否定され、国家は世俗化、政治を司る国家と宗教を司る教会に分離した。

 こうした議論は中国にも当てはまるだろうか。伝統的な主権国家論や王権神授説は、中国にも違和なく適用できるだろうか。アーネスト・ゲルナーは『民族とナショナリズム』にて、国家を「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義したが、自治区をはじめ多数の民族を抱える中国において、複数の民族を単一の原理のもとに政治的単位に凝集させるような同一性は何によって保障されているのか。民族的同一性を宗教に求めるか、血縁に求めるかは諸説あるが、中国はいかなる意味においてもヨーロッパ的な国民国家の要件を満たさないのだ。そもそも中国には、キリスト教のような宗教が存在しない。いうまでもなく一部の民族はチベット仏教を信仰しているし、しばしば弾圧の対象とされる新興宗教もあるだろう。あるいは儒教マルクス主義に、広範な社会的影響力に生活態度、心的態度、倫理的態度に関する準宗教的価値を見出すことができるかもしれない。だが、そのどれをとっても中国全体に国民国家としての同一性をもたらす基底的価値を与えてはいない。

 宗教の存在しない中国にて、キリスト教における神は「天」に相当するかもしれない。中国思想における天は非常に曖昧にで多義的な概念であるが、世界のすべてを統べる中心的原理や法則のようなものと理解しておけばよい。『孟子』によれば、天はときの王権に統治権を与え、君主は徳を獲得する。しかし、天によって与えられた王権は必ずしも盤石なものではない。天は自分に代わって王朝に地上を統治させるが、一度、天が王朝に見切りをつけてしまえば、王朝は徳を喪失し支配の正統性が失われる。それを悟って、君主が自ら位を譲る(禅譲)、あるいは武力によって追放される(放伐)ことを孟子易姓革命と呼んだ。だが現実に君主は天の意志を知ることはできない。そこで人民が天の意志を代理することとなる。君主はみずからの施政が天の意志に適っているかを、人民の評判によって判断するのである。冒頭にて紹介した最近の中国国内インターネット事情でもそれは同様である。今年1月、中国政府は、ソフトウェアの保存や書き込みができるサイトなどソフト開発環境を提供する「GitHuh」への接続を遮断し、成長する国内のソフト業界を怒らせた。さらに悪評は中国版Twitter「微博」まで広がり、批判を恐れた政府は遮断を解除するようになったのである。

 中国が従来の国民国家の枠内に収まるか否かはさらなる議論の余地があるだろう。とりあえずここでは、広大な領域と多民族に同一性をもたらすために、擬似宗教的存在として天の意志を参照していたのではないかということを仮説的に提示しておきたい。中国の歴代王朝は確かに断絶しており、数千年の歴史をもつ国民国家中国は確かに存在しない。しかし、中国史を概括すれば、歴代王朝は天の意志を反映する人民の評判を忖度する点において共通しているのではないか。だがここでさらなる疑問が浮かぶ。天の意志が人民を媒介して表象されるならば、市民革命が発生したヨーロッパのように人民主権が要請されるのではないか。この点については今後の考察材料としたいところだが、とりあえずこのような仮説を立てておこう。ヨーロッパの神政政治プロテスタントの基礎の上に作られた。そのため聖書解釈や信条の解釈に差が出てくる。そのため宗教戦争が発生、その反省として国家は世俗化して教会と分離するようになった。一方で、天には解釈の差異が存在しない。キリスト教の宗派間対立のような抗争が起きることなく、純粋に権力を追求する党派間抗争のみが起きたのではないか。