パルコ文化は80年代の象徴たりえるか

 三浦展は『「自由な時代」の「不安な自分」』に収録された「80年代渋谷論への疑問」にて、柏木博、吉見俊哉北田暁大ら評論家、学者による西武パルコ文化への理解を通俗的イメージとして批判している。80年代の消費社会を牽引したパルコで『アクロス』という「消費イデオロギー雑誌」を編集した経験をもつ三浦は、編集者として現場経験から、80年代パルコは本当に消費社会の中心的存在であったのかという疑問を提示し、吉見、柏木らによって「パルコ文化ー80年代ー渋谷ー公園通りーパルコー虚構の消費空間ーディズニーランド」という連想ゲームのような言説が形成され、そのイメージが広範にまかり通った事実を批判の俎上に上げる。

 三浦は「80年代ー消費社会ー渋谷パルコ公園通り」論が成立しない論拠として以下の理由を挙げる。(1)渋谷パルコパート1の売り上げは1979年にピークとなっており、それ以降減少し続けたため、80年代を消費社会として象徴できないこと。(2)アクロスによって実施された、公園通りの歩行者数の定点観測調査によれば、歩行者数は81年のピークの以降は減少し、85年にはピーク時の半分まで落ち込んでおり、世間とは逆にパルコの経営は苦しい状況であった。バブル景気の象徴であるワンレン・ボディコンのギャルが増えた87年には、全盛期の3割程度に過ぎなかったのである。

 次に三浦の批判の矛先は、パルコ文化を同じく80年代にオープンしたディズニーランドと関連付ける言説に向かう。吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』にて、渋谷公園通り論をディズニーランド論に接続し、80年代的虚構の消費空間の中心的役割を果たしたと論じる。これに対して三浦は、東京ディズニーランドの開業はたしかに83年だが、カリフォルニアでは55年に開業しており、パルコとディズニーランドの文化はかなり風土が異なると指摘。「ディズニーランドにカラスはいない。いるのは陽気なネズミだ。そしてディズニーランドは蝿も蚊も殺虫剤で殺す」「ゴミをあさるカラスもホルモン屋も渋谷の一部であり、都市の魅力の一部であると考える。それがパルコの考える都市だ」と両者の違いを強調する。

 彼によれば、パルコ文化は80年代の象徴どころか、その根底にある思想はきわめて60年代的なカウンターカルチャーであるらしい。「ヒッピー的であると言っても良い。若者の犯行のエネルギーを組織化する。それがパルコ文化だった。既成の文化、ファッションに従うだけでなく、新しい文化やファッションやライフスタイルをつくり出す。そうしたことにパルコは積極的だった」。

 80年代の象徴ではなく60年代との連続性を強調する三浦の議論は、単なる印象論ではない。パルコ・セゾングループといえば堤清二が有名だが、実はパルコを指揮していたのは増田通二という人物である。三浦によれば、パルコはセゾングループのなかでも「治外法権の出島のような会社であり、増田がやりたい放題をする典型的ワンマン会社」だったらしい。増田はアングラ文化に塗れた典型的60年代人であり、旧制高校から演劇部に所属していた芝居好き。高校教師の経験もある増田は、美術や演劇を通じて若者を育てることにこだわりがあり、美大生のバイトに描かせたパルコのウォールペインティングもその一環ではないかと推測する。パルコ文化は増田の60年代的サブカル趣味を投影した結果生まれたものであり、「文化戦略だなんだというのはあとづけの論理」に過ぎず、「そのあとづけの論理に学者やジャーナリストが飛びついたというのが実態に近い」。

 もちろん、結果的に公園通りが広告化された消費空間として形成されたことも間違いではない。以下のような三浦の意図して誇張された怒りは、増田的60年代文化の延長としてパルコ文化が成立していたのに、そうした歴史的文脈を脱色し、パルコ文化を80年代的消費文化の象徴として表象する言説に対して向けられている。

「パルコは「周辺の店舗をとり込み、自らのイメージに染め上げ、都市全体を広告空間にしてしまう」だって?パルコの隣にゃ東急ハンズもあるよ。その隣にはルノアールもある。あの、だっさーい。とりわけ80年代には嫌われた喫茶店だよ(今もまだある)。そして20年前の公園通りには、ホルモン焼屋もあって、豚の脳味噌や陰茎や睾丸も食わせていた。そんな公園通りで、「一木一草」までがパルコ的な空間になっていたって言えるのか?そういう、自分のパルコ論に都合の悪い現実の公園通りの風景を捨象して、公園通りは外部に対して閉じられた虚構の消費空間を作ったというのはナンセンスではないか。」

 整理しよう。三浦によれば、「パルコ文化ー80年代ー渋谷ー公園通りーパルコー虚構の消費空間ーディズニーランド」という連想ゲームのような関係は、80年代的消費空間の象徴としてパルコ文化を定位したい評論家・学者によって遡行して再発見された物語に過ぎない。実際のパルコ文化は増田の趣味がヒットのごとく、その内実は極めて60年代的であった。もちろん、三浦の怒りを編集者という内部事情を知る者という当事者性に還元して、「現場主義者の怒り」として排除するわけにはいかない。「パルコ文化は80年代諸費文化の象徴である」という言説と、「パルコ文化は60年代アングラ文化の延長である」という言説のどちらが妥当性があるのか、さらなる検証が求められるところだ。


「自由な時代」の「不安な自分」―消費社会の脱神話化

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