群像劇の舞台としては、似つかわしくないほどに平穏で平凡な日常を今日も過ごそうとしている少年少女が多数登場したら、ひとまず用心してかかるにこしたことはない。お互いはほとんど縁ないとおもわれる多くのクラスメイトにコマがフォーカスしたら、なお一層、警戒を強めるべきだろう。彼らは一癖も二癖もある人物ばかり。いかにも主人公といった風貌の熱血漢、取り巻きに崇めれる美形の不良、一匹狼の黒髪ロングの謎めいた美少女、ぶつくさと独り言をつぶやくコミュ障のオタクなど千差万別である。
地方都市にありがちな、20年遅れのヤンキー文化を躱し、生徒に柔軟を示しつつもパターナリズムを崩さない教師との素朴な会話を交わしながら、彼らは今日も変わらず退屈な一日を終えようとしている。しかし、そのような楽観的な憶測は、いとも簡単に放棄せざるを得ないだろう。秩序の破綻は常に不意に訪れるものだ。それはある場合には世界を崩壊させるような大災害であり、別の場合には臣民の徹底管理を目論む軍事政権によるプログラムであり、もしくは人知を超えた能力者による積年越しの革命かもしれない。平穏な日常を過ごしていた少年少女は、理不尽にもこれら極限状況に巻き込まれ、厳粛なルールに基づいたサバイバルゲームへの強制参加を余儀なくされるだろう。彼らのひとりとしてこのゲームから逃れることはできない。すべてはここからはじまるのだ。
常人にはおよそ理解できないほどの限界状況におかれながら、彼らは読者が驚くほどに冷静を保つことができる。彼らが最優先ですべきことはなにか。まずは安全の確保、危険の予測、生存のために必要な武器、食料の確保である。とにかく最低限の足場を固め、「オトナ」が設計した理不尽なゲームに適応することが喫緊の課題である。主人公に指名された熱血漢は、物語を進行させるために最低限必要な少人数グループを形成するべく、命がけで周囲を説得する必要がある。彼は確信することだろう。これから始まろうとしている物語で意義ある役割を与えられているのは、ごく数人であり、俺はそれが誰であるのか周到に見定めなければならない。実際のところ、クラスメイトはバラエティーに富んでおり、リクルーティングに事欠くことはない。銃火器の知識に長けるミリタリーマニア、アウトドアの経験豊富なタフガイがいれば幸い。食事や応急処置を慣れない手つきで担い、死地にわずかの清涼感をもたらす少女を外すことはできまい。彼は気づいているのだろう。俺たちが、死地に貶められながらも、擬似家族のような共同性を演じてみせるのは、このようにして真実が多くの人によって共有され、読者を興奮させ、最終的にはごく僅かな教訓を与えるためであると。彼は特権が与えられていることに、ささやかな興奮と義務感を抱きながら、身体的精神的疲労によって意気消沈する仲間を鼓舞するムードメーカーを演じなければならない。
最低限のライフラインを確保した後に必要なのは、ゲームに乗るかどうかの判断である。彼らはこれまで積み上げてきた信頼関係を裏切ってまでも、統制者から与えれた職命を果たす必要があるのだろうか。一度乗れば降りることは許されない。これは不可逆の生存競争、弱肉強食の世界なのだから。しかし、わかっていることだ。彼らに選択の余地はない。戻ることのできない日常に別れを告げ、ゲームを受け入れるしかないのだ。
逃れることのできない運命を受け入れた彼らは、数多くの試練に望むことになるだろう。試練は集団外的試練と集団内的試練の二種類である。前者の集団外的試練は極めてハードボイルドなものだ。彼らは統制者により遊び半分で依頼された用件や、迫りくる試練を拒否する術をもたない。それを達成するための命がけの努力は、もはや所与の条件として、彼らのわずか数分先の生存を息つく暇なしに脅かし続けるだろう。襲い来る未知の生物、太古に絶滅したはずの動植物、異世界の住人、正体不明のウイルスの蔓延、地震や津波による進路の封鎖。あるいは、彼らに先んじてゲームに参加していた「既プレイヤー」との党派争い。この既プレイヤーは、どういうわけかアマゾンの先住民族のような原初的生活を送っていることも珍しくない。気性の荒い人物をリーダーとする彼ら先駆者たちは、俺たち新参者が知らぬゲームのルールに知悉しており、不幸なファーストコンタクトからはじまったものの、幾多の試練を共にくぐり抜ける「異文化交流」を経て、彼らの数人は俺たちの善き理解者となってくれる。これら集団外的試練に巻き込まれた哀れな子供たちは、結束を徐々に強め、擬似家族としての役割を確固たるものにしていく。
それではもう一方の集団内的試練とはどのようなものか。それは集団外的試練によって結束を固めた擬似家族の危機であり、関係のせめぎあいである。息つく間もなく連続する試練への方針をめぐって、彼らは内紛を起こし、ときには集団の維持に深刻な危機を及ぼすことになるだろう。生存のためには現場にとどまったほうがよいと主張する慎重派と、脱出路を探索する必要があると主張する行動派の対立。ときにはそのひとりがパニックに陥り、荒れ狂うモンスターとして危害を加えることも珍しくない。年長者やかつての権力者がこの損な役回りを引き受け、道化として振る舞うことになるだろう。クラスの外れものだった飄々とした雰囲気をまとった黒髪ロング長身の美女は、世界を統制する秘密のルールに触知している素振りすら見せ、彼らが拠って立つゲームの欺瞞に覚醒する契機となるかもしれない。
彼らはなぜ、このような理不尽なサバイバルゲームに駆り立てられたのだろうか。極限状態の生存競争に意味などありはしないという反論をあざ笑うかのように、このゲームはたんなる思いつきや嘘出鱈目ではなく、ある現実感に基づいた教訓的な物語として彼ら(=ゲームプレイヤー、読み手)に提示されている。驚いたことに、統制者(=ゲームマスター、描き手)は、世界や社会に対して、哲学めいた確信を抱いていることも多い。私たちが住まう社会は欺瞞に満ちている。われわれの本音は隠蔽され、不平不満は粉飾され、動物としての本能は包み隠され、退屈で表面的な儀礼的関係として人間関係が塗り固められた囚人であると。しかし統制者によって構築された極限状態においては、彼らを束縛する法も、欲望を押さえつける倫理も存在しない。表面的で儀礼的関係を剥奪された人びとが、極限の状態でいかにして暴力性や利己主義に目覚めるという事実に、彼らは直面することになるだろう。心して聞くがよい。これは人生の教訓、人間の本当の姿についてのバイブルなのである。
それゆえ、彼らの物語が、半ばだまし討ちのようにして中座させられるのはまったく必然である。作者の陳腐な哲学と、緊張感を維持せねばならないとの強迫観念に責め立てられ、生命を消費し続けるサバイバルゲームに着地点などあるはずがない。物語の構成を考えれば、ゲームルールに則った強者の優勝はあまりにもありふれているので、この結末も封じられている。サバイバルゲームを乗り越えた彼らの今度の標的は、世界を司る統制者だろうか。明確な標的を設定することなく、心理と倫理の抽象的世界に読者を連れ込むことで、拍子抜けの最後を遂げるのだろうか。それとも崩壊した世界での生存を誓い合い、荒野に踏み出すことでエンディングを迎えるのだろうか。複製され続けるサバイバル作品に共通する漫画的想像力の欠如が、生命倫理的暴露と社会的啓蒙として結実し、捻れた少年少女の意識に滑りこむ程度のニッチな市場を構成した時代も今や昔。この傾向の作品群が、今や漫画作品の主要たる一角を占めている事実に目を光らせなければなるまい。
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