『ゆきゆきて神軍』と生の哲学

 先日、鑑賞した映画『ゆきゆきて神軍』について考えたい。今村昌平によって企画され、原一男によって監督された本作は、昭和時代の著名な政治活動家奥崎謙三を5年間にわたり密着して撮影された渾身のドキュメンタリー映画である。奥崎は数々の非常識的な事件を起こして世間を騒がせたことで知られている人物である。彼の名を一躍有名にしたのが、1969年、皇居の一般参賀昭和天皇にパチンコ玉を発射した事件である。その7年後の1976年には、自費出版した本の宣伝のため、銀座、渋谷、新宿のデパート屋上から、ポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラ約4000枚を撒いたところ、全国指名手配されほどなく逮捕される。1981年、田中角栄に対する殺人予備罪で書類送検されるが不起訴となる。

 数度の逮捕、刑罰を経て1982年から『ゆきゆきて神軍』の撮影は始まった。劇中にて奥崎は、太平洋戦争中に自らが所属し、ニューギニアに派兵された独立工兵隊第36連隊で起きたある陰惨な事件の真相を突き止めるべく、日本全国を奔走する。その事件とは、同隊に所属していた二人の下士官を、軍の命令により部隊長はじめ数人の士官が主導して射殺したことである。奥崎は殺害された兵士の親族と共に、射殺を命令した部隊長、手を下した5人の下士官、衛生兵や軍医を探し出し、過去の事実に関する証言を聞き出そうとする。しかし彼ら元兵士は過去の残虐行為に対して後ろめたく感じており、奥崎の問いかけになかなか口を割ろうとしない。これに対して奥崎はときにはアポ無しで押しかけ、ときには暴力的な手段を使って彼らを脅す。ある時には彼らに跳びかかって殴りかかり、別の場合には部屋に半ば軟禁状態まで追い込んでしまう。奥崎の鬼気迫る追求に折れた元兵士たちは徐々に過去の事実を告白していく。

 劇中の奥崎の行動を見ても、彼の経歴を見ても、誰もが彼の異常性を疑うことだろう。殺人をはじめとして数々の違法行為を働いた彼の破天荒な人生を即座に受け入れることはできない。しかし法を犯すことを物ともせず、真実を追求する彼の姿勢は、どこか一貫性があり、独自の信念を感じさせるものである。奥崎を突き動かす内発性の正体はなんだろうか。キーワードは「神」である。奥崎は劇中に何度も神に関する言葉を口にしている。例えば、映画序盤にて結婚式の仲人を務める奥崎は、(新郎も奥崎と同じく前科持ちの活動家なのだが)国家の存在は「神の法」に反すると熱弁する。国家は世界を断絶させ、人類をひとつにしない障害である、と。しかし奥崎は国際的連帯を志向する典型的左翼活動家などではない。彼は同時に、共産主義国が決定した法も同様に国家による暴力であるとして批判する。また別の場面では、訪問した元兵士の山田吉太郎が病気を患っている理由を、彼が過去の戦争犯罪を秘匿し、忘却の上に現在生き長らえていることに対する「天罰」であると断言する。

 奥崎は特定の宗教を信仰しておらず、彼がいう「神」とは独自の概念である。著作も含めてさらに検討されるべきだろうが、当座言えるのは、「神の法」の内実は、戦時期をはじめとする過去の行為を各人が認め、公の場で告白し、子孫に伝えることこそが、何よりも正当であると考えていることである。奥崎にとってこの「神の法」を貫徹するためには、国家ごときが法律は障害以上の何ものでもない。過去の事実を白日のもとに晒すためには、法を犯すことすら躊躇わない。ときには相手に暴力をふるい、警察を予防とする元兵士の家族に先立って、みずから警察に電話しさえする。

 奥崎のこうした偏執狂的な「神の法」への執着はなぜもたらされたのだろうか。これを理解するためには、彼が実際に体験した、戦争中の事件について考えを巡らさなければならない。本作で奥崎が追求する事件は、太平洋戦争中の極限状況を私たちに直面させるものである。真偽は定かにされないが、殺害された兵士の妹である崎本倫子は、弟が戦争中処刑されたのは、彼らの死体を食料とするためではないかと疑う。太平洋戦争末期、各地の日本軍はとても戦えるような状態ではなかった。周囲を敵兵や現地人に囲まれた日本兵は、植物も動物も取り尽くした状況で、人肉を食べることで命をつないでいた。人肉を、現地人を意味する「黒豚」、連合軍兵士を意味する「白豚」と呼び、「今日は黒豚だ」「今日は白豚だ」と話し合いながら食料としていた。奥崎や崎本は兵士たちを追求する際、自分たちが生き延びるために階級の低い日本兵から順に殺害し、「豚」として食べていたのではないかと追求する。戦争末期の食人については、他にも多くの証言によってその事実が明らかにされている。映画では他にも、食料にされる者を決定するためのくじ引きを仕切っていた人物が登場する。山田吉太郎は兵士の中でくじを引かせ、当たったものを食料にする役割を担っていた。

 こうした極限状況において戦争の敵味方関係は無化され、イデオロギー的側面は消滅し、兵士たちは政治性が不在の、生死をかけた純粋な生物、いわば裸の個人として戦場に暴露される。ふだん私たち人間は社会的存在として生活している。A社の社員として、B大学の学生として、C国の兵士として。その一方で私たちは純粋に動物でもある。必要な食料を食べなければその機能を維持することはできないし、あらゆる欲望によって縛られている。イタリアの思想家ジョルジュ・アガンベンは『人権の彼方へ』にて、こうした人間の2つの身体性を「ゾーエー(zoe)」と「ビオス(bios)」として区別した。ゾーエーは動物園zooの語源でもあり、生の動物的な側面を意味する。アガンベンはこれを「剥き出しの生」と呼ぶこともある。他方にはビオスすなわち「政治的身体」が存在する。これは社会的で象徴的なネットワークのなかに登録された存在としての生を意味する。人間の生には、動物的存在としての「ゾーエー」と社会的存在としての「ビオス」2つの側面が存在するというのだ。

 アガンベンがこの概念を使用して著作にて語ったアウシュビッツは、ナチス政権が国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策によって、数百万人のユダヤ人が殺害された人類史上最悪の悲劇である。一度に数百人の人びとがガス施設クレマトリウムに押し込まれ、シャワーを浴びた後にガスを注入することで"効率的に"殺害された。ガス室で殺害されるユダヤ人にそれまでの出自など社会的性質はなんら意味を持たない。ごく一部の職業能力を持つ者が労働力として利用され一命を取り留めたものの、ほとんどの人びとは老若男女、職業、ナチスドイツへの忠誠の程度に関連なく、動物の一種として、区別不可能な存在として"処理"される。ここで殺害されたユダヤ人はビオスではなく、純粋にゾーエー、つまり動物的な存在として扱われている。この極限状況は、戦争、イデオロギーなど善悪にかかわる社会的性質はすべて捨象されている。映画『ショアー』でのユダヤ人の証言によれば、収容所にてナチスは、ユダヤ人が死んだ同胞を「犠牲者」と呼ぶことを固く禁止していた。ユダヤ人の死体は「形 Figuren」と呼ぶことが義務付けられていた。ホロコーストは、ユダヤ人が固有な人生を抱えていた人間として、社会的存在として立ち現れるのを構造的に排除していた。

 奥崎たち旧日本軍の兵士が終戦期に戦地で体験した極限状況は、この点でアガンベンアウシュビッツと同じである。周囲を連合軍や現地人に包囲され、直径4キロの範囲に1万人の日本兵が追い詰められ、弾薬も食料も尽き、餓死者が続出し、お互いを喰い合う言葉を絶するような異常な状況は、私たちが語るイデオロギー的要素の強い戦争論とはまったく異なるものである。奥崎の体験は、大岡昇平による有名な小説『野火』を連想する。そこでは飢えと疲労で限界に達し、餓死が人肉食いを迫られるような極限状態にて、精神異常を誘発し、現実と非現実が混濁した限界意識が語られた。

 ゾーエーが全域化するアウシュビッツや太平洋戦争末期では、ビオスが否定され社会的性質としてのゾーエーは捨象されている。それは同時にこうした問題を社会的に語ることの不可能性を私たちに示唆している。私たちが戦争について語る場合、多くはマクロなイデオロギーをその入り口とすることが多い。曰く、開戦の正当性、南京大虐殺の事実関係、東京裁判の有効性などの議論はすべて、戦争に関する善悪の問題などである。しかしこうした切り口、つまり現在時の私たちが過去に対して行う社会的判断は、極限状態のゾーエーに対して語る視座を持たないことになる。後続世代の多くが、戦争を語る際にこうした準拠点を参照にしても、戦争のもっとも核心となるゾーエーの暴露する事実に到達することは論理的に不可能なのである。

 ならば私たちはどのような視座に立てば戦争を語ることができるのか。極限状態におけるビオスとゾーエーのあまりにも大きな断絶をいかにして解消することができるのか。この難題に直面すれば、奥崎が執拗にこだわった「神の法」の意味が見えてくる。それは戦争を体験した当事者、つまりビオスを剥奪され「剥き出しの生」ゾーエーとしての体験を知る者が、イデオロギー的語りによっては表象不可能な自分自身の過去に向き合い、体験したこと、罪を犯したことを包み隠さずに告白し、後の世代に伝えること。伝聞や記録によっては代替不可能な生々しい語りを紡いでいくことが、死者への鎮魂となり、悲劇を繰り返さないことにつながるというのだ。