母と娘のコンプレックス(1)『ブラック・スワン』、『ピアニスト』

 最近鑑賞した数本の映画に偶然にも共通のモチーフが描かれていた。母と娘の関係である。いうまでもなくこのテーマは父ー息子関係と並んで普遍的なテーマであり、映画のみならず文学や演劇でも数えきれないほど言及されてきた。そして今回の数本の映画は、驚くほど図式的にこのテーマを再現して制作されていた。今回はこれまで膨大に蓄積がある母ー娘関係を図式的に当てはめるというベタな角度でこれらの作品を考えたい。

 そもそも母ー娘関係とはどういうことだろうか。精神分析で有名なオイディプス・コンプレックス概念を簡単に紹介する。オイディプス・コンプレックスの原初段階は二者関係からはじまる。母親と息子しか存在しない状態では、息子は母親を完全な存在として認め、純粋な愛情対象として認識する。これはラカン鏡像段階に相当する。しかしこの二者関係に父親が介入する。絶対的存在たる父親は、息子に「ペニスを切り取るぞ」と去勢不安を与える。ここにて息子はジレンマに陥る。母親を求めれば父によって去勢され、父親に服従すれば息子の立場は父を愛する母親の立場に同一化するので去勢状態に陥る。どちらを選択しても息子は去勢不安に晒されるのだ。

 この不安を解消するために、息子は母親との関係(近親相姦)を諦め、同時に父親との対立も諦める。こうしてオイディプス・コンプレックスは克服されて、息子はペニスを保持したまま一人前の男性として自立することができる。これがオイディプス・コンプレックスの基本だ。この関係は息子が女性であっても同様に成立する。娘→息子、母親→父親、父親→母親として置き換えてみればよい。娘は母親の去勢不安と父親の誘惑を否定し、自立の道を歩むのだ。この有名なモデルは、今回の映画では驚くほどストレートに作品内容に反映されている。

 最初の作品はダレン・アロノフスキー監督『ブラック・スワン』である。ニューヨークの一流バレエ団に所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、母親のエリカ(バーバラ・ハーシー)と一緒にアパートで暮らしている。母も彼女と同じように元バレリーナであり、果たせなかった夢を娘に託すあまり、彼女に過剰なほどの愛情を注いでおり、それは時に暴力的介入として現出する。

 ニナはバレエ団の新公演『白鳥の湖』で大方の予想を裏切りプリマ(主役)に抜擢される。しかし彼女をキャスティングした舞台監督のトマ(ヴァンサン・カッセル)はニナに、「君は官能的で邪悪なブラック・スワンを演じるには魔性と情熱に欠けている」と叱責し、演技を成功させることを理由に恋愛関係を迫る。

 先のモデルに照らせば、トマはニナの「父親」に相当する。彼と恋愛関係を持つことは、母親との二者関係から自立することであり「母殺し」を意味する。母との同一化を解消し、父と一緒になりたいという願望が象徴されている。誘惑する父と抑圧する母の三者関係に狭まれたニナは、幻覚症状を引き起こし破滅の道を歩むことになる。ニナがオイディプス・コンプレックスを克服し自立すためには、鏡の向こうの自分(=究極の母性)を殺害し母殺しを完遂する必要がある。しかし母殺しによる人格定立はあくまで幻想である。真の自己を手に入れたニナはブラック・スワンを完璧に演じるものの、その先に待っているのは死のみであった。

 次の映画はミヒャエル・ハネケ監督作品『ピアニスト』だ。名門国立音楽院でピアノ教授として務めているエリカ(イザベル・ユペール)は子供の頃からピアニストになるため、母親(アニー・ジラルド)に厳しくしつけられて育ってきた(エリカという名前は偶然にも『ブラック・スワン』ニナの母親と同じだ!)。母親に対して愛憎入り混じった感情を抱きつつも彼女から離れられず、恋愛などとは無縁の人生を送っていたエリカは、倒錯した性的欲求を密かに持つようになっていた。一人でポルノ・ショップの個室を利用したり、男女のカーセックスを覗いたり、バスルームでカミソリを使い自分を傷つけることで経血を演出し、母親に女性であることを知らしめるささやかな抵抗を試みる。ある日小さなコンサートでピアノを弾いていた青年ワルターブノワ・マジメル)がエリカに思いを寄せる。ワルターを指導することになったエリカもまた彼に惹かれていく。しかし母親に抑圧されて育ったエリカが、年少のワルターと純粋な関係を結ぶことはできない。性的に倒錯したエリカの趣向はワルターを混乱させ、両者は不安定な恋愛関係に陥っていく。

 ここでも先と同様に、ワルターが「父親」の役割を演じる。エリカは母殺しを完遂させるために、あらゆる手段を使って母親を拒絶し、一人の女性として人格の定率を試みる。しかし母との切り離しは極めて捻れた形態で行われる。それが倒錯した性的嗜好であり、ワルターとの混乱した関係なのだ。『ピアニスト』も『ブラック・スワン』と同様に、真の自己定率は自死の形で現実化する。

 『ブラック・スワン』と『ピアニスト』はあまりにも図式的に娘中心のオイディプス・コンプレックスのモデルを人間関係に当てはめ、映画化した作品であるといえる。抑圧する母と誘惑する父、両者の板挟みに煩悶する娘が自立をはかるというストーリーである。

(続く)