トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイー国民国家誕生の歴史ー』

 1983年に相次いで出版されたナショナリズム論の新古典、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』とアーネスト・ゲルナー『ネーションとナショナリズム』は、現在もなお構成主義ナショナリズム論の典拠としてその位置を占めている。構成主義ナショナリズム論とは、社会構成主義(social constructionism)の立場から展開されるナショナリズム論である。社会構成主義とは、私たちが、本質的で、非歴史的であり普遍的であると思っていた概念が、じつは社会的な言説や実践によって構成されたものであると考え、それがいかなる歴史、環境、社会的条件によって成立したかを分析対象とする学問的立場である。

 ジェンダーセクシュアリティ研究を例にあげればわかりやすいだろう。社会構成主義以前のジェンダー論では、生物学的性(sex)と社会的性(gender)の違いは所与のものとされ、女性運動は市民権の付与や無償労働としての家事労働の不平等を告発することが主な目的であった。しかし、ジュディス・バトラーらによって主張された社会構成主義ジェンダー研究は、ジェンダーとセックスの二分法そのものを転倒させ、生物学的差異についての諸説は、言語的に実践されたジェンダー的差異の文化的投影であると従来の二分法の欺瞞を暴露した。

 同性愛者の性行為を例に挙げよう。性行為は一見、ジェンダーからもっとも離れた純粋に動物としての欲望の追求、あるいは種の保存を目的とした行為であるように思われる。しかしバトラーは、同性愛者の性行為においても、ジェンダーは紛れもなく関与している。いや、それどころかセックスの概念を規定すらしていると指摘した。バトラーが例示するのは、同性愛者の性行為における異性愛的役割である。「攻め」の男役を「タチ」、「受け」の女役を「ネコ」のように役割分担し、各々の立場に応じた役割演技として性行為をする事例は、もっとも生物学的とみなされている領野すら、社会的や約束事や習慣によって行為遂行的に規定されていることを例証するには十分である。ここにて、セックスとジェンダーを二分し、前者を所与のものとして後者の権利を主張する従来のフェミニズムの理論は根底から覆された。

 社会構成主義ジェンダーセクシュアリティーにとどまらず広い範囲でその影響を及ぼし、フーコーの言説分析などフランス構造主義ポスト構造主義と合流しながら、文学、歴史学社会学などさまざまな領域で豊穣な成果を生み出した。ナショナリズム論もその例外ではない。ナショナリストの視点からは、悠久の歴史をもつ存在として顕現する「国民国家(nation state)」が、近代以降というごく最近の概念にすぎないことを歴史性、社会的構成の与件を歴史資料に基づき、実証的に分析する手法が興隆。90年代以降では日本でも、国民国家ナショナリズムの幻想を脱構築するポストコロニアルスタディーズ、カルチュラル・スタディーズが流行した。

 しかし、後にリチャード・ローティによって「文化左翼(Cultural Left)」と批判される彼らの告発は、仮想的であるはずのナショナリストにとって致命的なダメージとはならなかった。ナショナリスト国民国家ナショナリズム構成主義的理解を取り込みながら、「すべてが物語にすぎないならば、よりよい物語をつくればよい」という見解のもと、物語としての歴史を再構成する方向に舵を切った。90年代中盤以降、表面化した歴史修正主義者による教科書問題が好例だろう。ここにて、社会構成主義ナショナリズム論は隘路に嵌り込むことになった。国民国家ナショナリズムが構成された幻想に過ぎないという批判も、「ならば構成してしまえばよい」と開き直るナショナリストも、同一平面上のイデオロギー的差異として相対化してしまうという隘路に。

 本書は第一に、このようなナショナリズム論の系譜の延長線上の研究成果として読まれなければならない。著者トンチャイ・ウィニッチャクンは、アンダーソン以来の構成主義ナショナリズム論を批判的に継承しつつ、国民国家としてのタイがいかにして形成されたか地図に注目しながら鮮やかに剔抉してみせる。

 第二に、本書はタイの歴史、さらにはタイ歴史学がたどった固有の系譜の上に読まれるべきである。今日タイ人の間で広く信じられている「タイ人らしさ(khwampenthai:タイネス)」という共通のアイデンティティはいかにして生まれたのか。他国とは異なるタイ人、さらには国民国家としてのタイに固有の特徴とは何か。著者は、前近代的なタイ(この時点では統一された国民国家タイという概念は存在しなかったが)の空間認識が、近代化によって「均質で空虚な」空間認識に変容するプロセスを、地図の歴史に着目して分析する。

 フランス、イギリスとの遭遇によって近代化の歩みを進める以前、タイの前近代的空間観念を形成したのは、トライプーム(三界経)として知られる仏教的宇宙論を反映した宗教地図である。13世紀頃スコータイ朝で作成され、18世紀まで幾度も編纂され続けたこの地図は、天文学や正確な測量技術に基づいて作成されておらず、現代の私たちから見ればまるでイタズラ書きのような代物のように見える。輪廻転生や神話、民俗的伝承、衆生の存在に関する説話が、非常に大雑把な地理情報に描き加えられ、さながら宗教画の様相を呈している。しかし注目すべきは、前近代の地図を形成させた当時の人びとの認識である。

(『トライプーム絵写本』にあるタムナーンの地図。仏教説話が寺院や川の位置情報と共に描写されている)

 当時の王宮や寺院などの宗教的建造物は、すべてが宗教的な空間秩序に従ってデザインされており、宗教的伝統と比喩的に関係づけて配置されていた。さらに当時の仏教徒には寺院詣での習慣が定着しており、信徒は各地の仏教寺院を旅をすることで、それぞれの寺院に固有の土着的信仰や民話を学びながら、普遍的な仏教的世界の知識に結合させ、独自の宗教観を育んでいた。いわば「お遍路さん」のようなものだと考えればよい。この時点では、宗教的認識と空間的認識が分離されておらず、両者が分かちがたく混交・癒着した仏教的空間認識が彼らの地理的理解であった。前近代における空間認識は、宗教・神話・民話といった宗教性や歴史性を一枚の地図上に同居させる点では、通時的時間概念を圧縮しながらも、いまだ全体に格子状に広がる近代的な時間・空間概念は存在せず、「メシア的時間」に幽閉されているといってもよいかもしれない。

 しかし、このような前近代的時間空間概念は19世紀以降、フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国との遭遇によって一変する。1826年に隣国ビルマがイギリスに敗北し、インドシナが次第にヨーロッパ諸国の帝国主義の脅威に晒されるようになった。同年、タイはイギリスと友好通商条約、バーニー条約を締結。1833年にはアメリカとの交流も始まった。各地の政治的・軍事的不安定を鎮圧する名目で彼らが侵攻することを恐れたタイは、1851年の近代主義者で改革派のラーマ4世即位以降、近代化改革(チャクリー改革)を推し進め、西欧諸国との交流はより緊密となった。鉄道や道路など交通インフラの敷設、電話・電信・郵便など通信手段の整備、なにより数学と物理学に基礎づけられた天文学、精密な測量技術の導入は、それまでの前近代的な空間認識をガラっと一変させた。伝統的な占星術は近代的で合理的な天文学へその座を明け渡し、神話や民話の伝承に基づいた宗教的地理学は合理性と実証性に基づいた近代地理学に取って代わった。

(1686年、シャムに派遣されたフランス使節団によって作成された地図。近代的測量法に基づいて作成されているが、情報は沿岸部に集中しており、内陸部は不足している。)

(1821年、シャム使節として派遣されたクローフォールドによる報告書に記載された地図。内陸部の情報も詳しく記載されている。)

 また、周辺諸国や植民主義を進める西洋諸国との領土に関する交渉は、国境線の内と外の認識を形成させ、「われわれ」と「かれら」の対立を創造させる契機となった。それまでは住民が居住したり生活範囲であるという事実や、地方官憲の恣意的決定に基づいて認識されていた曖昧な国境線(frontier)は、「国家主権間に存在する垂直的接触面が地表面を二分する」抽象的で厳密な国境線(boundary)へと代替された。さらに軍隊の存在。周辺諸国との軍事衝突の可能性を考慮して配置される軍隊の排他的な空間認識は、周辺の正確な地理情報を要求し、近代的な測量術による地図の作成を後押しした。

 こうして、さまざまな方面の改革によって、宗教的色彩を帯びていた前近代空間認識は、精緻で空虚な近代的空間認識にパラダイム・シフトした。著者は、以上の空間認識が国民国家「ひとつのタイ」としての「地理的身体(geo-body)」を獲得する契機になったとまとめる。現在、タイのナショナリストによって主張される「かつてタイであった」領土の喪失に対する異議申し立ても、海外文化の流入によって仏教的教義が脅かされているとの危惧も、タイの地理的身体が近代以降構成されたされたという歴史を棚上げすることによってはじめて可能になる言説である。

 本書は、アンダーソンの「想像の共同体」論をタイの歴史に応用して、いかなる歴史的過程を経てタイの地理的身体が獲得され、ネーションとして構成されたか、豊穣な文献と精緻な分析によって描かれた見事なスケッチである。しかしその一方で、あまりにもアンダーソンの議論に実直すぎる印象を拭えない。地図作成による地理的身体の獲得は、ネーションとしてのタイを認識する決定的要因であるか。その分析が十分ではないのだ。さらに、冒頭でも述べたように、ネーションとしてのタイの物語の虚構を暴いてみせることは、所詮物語に過ぎないならばよりよい物語をというナショナリストと同一の地平に帰属することとなる。歴史家の客観的な目にはネーションが近代的現象に見えるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在に見えるという、アンダーソン由来のパララックスは、依然としてナショナリズム論のアポリアであり続ける。

 しかし、著者が本書を過渡期のものと自覚しているのは、緒言を読めば明らかだ。そこには、タイ歴史学が迷い込んだ袋小路に光を照らそうという、もうひとつの目的が存在するためである。20世紀後半からのタイ歴史学は、「タイ人らしさ」とは何かをめぐる問題系に振り回されてきた。隣国の軍事的脅威を恐れる共産党や、先進国の「文化侵略」によって王国・仏教の歴史性が侵食されていると反発する仏教徒ナショナリストはもちろん、国民国家タイの起源を神話、民話まで遡行して発見しようとする歴史学者の登場に対する危機感が本書の執筆を動機づけた。

 であるならば、本書を時代遅れの構成主義ナショナリズム論として一蹴することは適切ではあるまい。構成主義ナショナリズム論は、アンダーソンのテーゼに回収されてしまうからこそ、改めてたたき台として提示されなければならない。ナショナリズム研究とナショナリストの情動が同一平面上に落とし込まれてしまうナショナリズム論の永遠の課題は、良質なスケッチを評価することによってはじめて論じられるのだから。

地図がつくったタイ (明石ライブラリー)

地図がつくったタイ (明石ライブラリー)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

松本克己『世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平』

世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平

世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平

 日本語はどこから来たのか。日本文化の発祥や民族の起源はどこに遡るのか。日本の始原をめぐるこの問は、歴史学言語学はもちろんのこと、あらゆる人文科学、社会科学にとって避けては通れない問題である。俎上に載せられて百年近く、数多くの仮説が提示され検証が行われてきたにもかかわらず、一向に解決に達していないこの問題に対して、本書は極めて大胆な仮説を投げかける。

 言語や文化の起源を求めることは、場合によっては特定文化の「国籍」を求めることと同一視されやすい。たとえば「天皇家の先祖は朝鮮人であるか」などが好例だろう。しかし、文化の国籍特定するという行為が、ある事象を国民国家の枠組みに帰属させることだと解釈されているとすれば、これは典型的な遠近法的倒錯である。構成主義的な国民国家論ではいまや明らかだが、私たちがある文化の起源(=文化の総体がそこから発生したと帰属できるような消失点)は、たかだか200年程度の歴史の国民国家によって創出された「共同幻想」にすぎない。言語系統論の射程は、このようなnatinalityの幻想に回収されるものではない。

 筆者にとって日本語の起源を求めることは、ユーラシア大陸の数千年の言語史を明らかにするどころか、空間的にはアフリカから、南北アメリカまで拡がり、時間的には、長く見ればホモ・サピエンスが誕生した15万年前まで、本書で中心的に扱われている範囲ならば3万年前にまで拡がるものである。

 日本語の系統論といえば、素人の私でも、その起源を南インドのドラヴィダ語族タミル語に求める、大野晋の日本語・タミル語同型説、あるいはヨーロッパのバルト海域から中央アジアを経てシベリア東部まで広がるウラル・アルタイ語に求める説を聞いたことがある。しかし著者によれば、これらの学説は間違いらしい。詳細は割愛するが、日本語・タミル語同型説は、言語の特性以前に、二つの言語に類似性を発見する大野の分析手法そのものの欠陥が指摘され、ウラル・アルタイ語説は、語頭子音群や母音調和などの共通する特長が、周辺言語にも広く確認できるという理由で論証の短絡が指摘される。現在でも有力な学説となっているこれら仮説に対する筆者の反論は、極めて説得力のあるものだ。

 これに変わって著者は、「環太平洋言語圏」という日本語系統論の新たなモデルを提案する。まず、流音のタイプ(「r音」と「l音」の区別の有無による複式流音型、単式流音型の分類)、形容詞タイプ(形容詞が名詞の下位カテゴリーであるか否かという、形容詞体言型と形容詞用言型の分類)、名詞の数のカテゴリー(名詞の複数標示が、「books」などのように文法的に義務化されているか、「男たち」のように義務が存在しないか)など複数の特徴からユーラシアの諸言語をふたつに分類する。西側のセム、インド・ヨーロッパ、ウラル、モンゴルなどの語族をまとめて「ユーラシア内陸言語圏」、そして、東側のギリヤーク語、アイヌ語、日本語、朝鮮語、漢語系諸方言、チベットビルマ語などのグループを「太平洋沿岸言語圏」と区別する。先の類型基準に照らせば、ユーラシア内陸言語圏は、複式流音型、形容詞体言型、文法的に義務付けられた名詞の数カテゴリーなどの性質を、一方の太平洋沿岸言語圏では、単式流音型、形容詞用言型、名詞における数カテゴリーの欠如などの性質を有する。

 しかし、このような言語類型は、驚いたことにユーラシア大陸では納まらない。すなわち、ユーラシア内陸言語圏に特徴的な文法や発音の性質は、サハラ以北のアフリカ大陸までその分布を拡げて共通し、一方、太平洋沿岸言語圏の性質は、なんとベーリング海峡を越えて遠くアメリカ大陸まで拡がっている。単式型流音や用言型形容詞などの特徴は、北米、南米の全域を覆い、数詞類別はアメリカ西部から中米を通過し、南米アンデスの東側まで分布している。つまり発音や文法上の様々な特徴から世界の言語を分類すると、日本語が属する太平洋沿岸言語圏は、ユーラシア内陸言語圏と親戚関係を結ぶどころか、その言語的性質はおよそかけ離れており、海を越えて環太平洋圏で共通の言語圏を形成していることになる。筆者は日本含むユーラシア東部太平洋側から、南北アメリカまで至るこの言語圏を、「環太平洋言語圏」と命名し、従来ユーラシア大陸にばかり注目されていた日本語系統論の視線を、「環日本海」から、その外延に拡がる「環太平洋」に転換させようと試みる。

 筆者の(実験的な)仮説によれば、最終氷期最寒気(LGM=Last Glacial Maximum)以前の2〜3万年前に日本列島に最初の人類が到達することで環太平洋言語圏が幕開け、温暖化によって氷河が溶ける前の1万7千年前に千島・アリューシャン列島経由の沿岸ルートでアメリカ大陸への移住が開始。1万5千年頃にはアンデス南部に到達した(最初の新大陸太平洋沿岸人の足跡としてモンテ・ベルデ遺跡がその証拠となる)。その後、大河流域に文明が形成され、環太平洋言語圏はそれぞれの語族に分化していった。日本語の起源・系統が、発祥と地球規模の拡散として新たな歴史ドラマが提示される論証過程は極めてスリリングだ。

 もちろん、この大胆な仮説にはさらなる検証が必要だろう。なにより、ユーラシア東部の環太平洋言語圏と西部の環太平洋言語圏で、あらゆる言語的特徴の断絶が存在するならば、それはいかにして生起したのかを明らかにしなければ、環太平洋に拡がる日本語の伝播過程はわかっても、起源について説明したことにはならない。今回は専門的議論は避けたが、筆者が日本語や朝鮮語などの太平洋沿岸言語圏とアメリ先住民族の言語の関連を指摘する際に、人称代名詞の類似性が必要以上に強調され、他の特徴が十分に検証されていないのも気になる。しかしそれをもって本書の仮説を否定することもできないだろう。100年以上の蓄積があるにもかかわらず、一向に解決の糸口が見つけられないほど暗礁に乗り上げた言語系統論に、極めて斬新な視点を提示した本書が詳細に俎上に載せられることで、日本語の起源に関する議論が再燃することを期待したい。


日本語の起源 新版 (岩波新書)

日本語の起源 新版 (岩波新書)