伊藤守「テレビ番組アーカイブを活用した映像研究の可能性 分析方法・手法の再検討に向けて」『社会学評論』Vol. 65 (2014) No. 4 p. 541-556

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岩波映画の1億フレーム (記録映画アーカイブ)

岩波映画の1億フレーム (記録映画アーカイブ)

ジャック・デリダが指摘するように,放送され,公開された映像(作品)は「すでに公共のものであり,すでに展示され,すでに見せられた」ものにほかならない.「そこにはいかなる秘密もない」(Derrida and Stiegler 1996=2005: 61)はずである.」「また,この視点に立つならば,映像の検証にとどまることなく,実際に映像を撮影したカメラマン,プロデューサー,デレクター,監督といった関係者に対するヒアリングを通じて当時の映像制作を取り巻く社会的・政治的・経済的背景や組織やチームの編成など,制作現場の状況を把握することの重要性も浮かび上る.「制作者研究」と言われる分野も,映像を立体的に捉え直す視点を提供するという点で,アーカイブ研究の重要な領域をなしている.」
映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦 (岩波新書)

映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦 (岩波新書)

「ウリナリ芸能人社交ダンス部」を15年ぶりに見る。

 お笑い好き成分を補充するためDVDでレンタルすることもしばしばなのだが、先日つい懐かしの「ウリナリ!!芸能人社交ダンス部」を借りてしまった。「しまった」というのは、私が小学生時代に熱心に視聴していたこの番組の1コーナーを、目の肥えた今、改めて冷静に見ることに対して、ある捻れた恐怖感を抱かせ、怖いもの見たさと些かの後悔の念が混じった複雑な感情を抑えきれずにいたためなのだけれど。

 ウッチャンナンチャン(いまや彼らをコンビ名で呼ぶことそのものに悲壮感を禁じ得ない)が液晶に映る度に、私のなかに暗澹たる思いが広がる。それは「ウッチャンに対するナンチャン」という不名誉な比喩に象徴されるように、「スパイスとしての無能力者」である南原のみならず、彼と比較して十二分に芸人としての資質を備えているだろう内村においても例外ではない。ウンナンに対して私が感じる憂鬱は複雑なもので、『いいとも』スペシャル恒例のモノマネ大会のように、「かつてはダウンタウンと並び評されたウンナン」という過去の栄光の崩壊でもなければ、内村ならば『内P』のような深夜番組やネット番組、南原ならば伝統芸能やキャスターなど、ゴールデンバラエティーに比べれば明らかに「脇」に過ぎない仕事でなんとか延命しているらしい現在のイメージでもない。それは90年代中盤から後半にて興隆した、『ウリナリ!!』や「未来日記」などの感動志向バラエティー番組の中心的存在としてウンナンが立ち回り、確かに当時、私はこれら番組を視聴し、感動し、クラスの話題として取り上げ、「笑いの感動化」に純粋に加担していた事実に対する恥ずかしさでもある。

 日本では90年代に入って、バラエティーに限らず感動志向のテレビ番組が急増した。『24時間テレビ』は92年から名物企画「24時間マラソン」を開始。スポーツ番組は、『熱闘甲子園』の方針転換のように、選手の人生譚を強要することで、視聴者に選手の運命を同一化を求めるドラマ的演出の導入。バラエティー番組においては、『進め!電波少年』の「猿岩石ヒッチハイク」、『ASAYAN』のオーディション・ドキュメンタリーなどがその代表例である。そして何よりバラエティー番組における「笑いの感動化」を最前線を走り、牽引しているように見えたのがウンナンであった。少なくとも視聴者の目はそのように映り体験されていた。『ウリナリ!!』の芸能人社交ダンス部、ドーバー海峡横断部、ポケビのブラビのCD売上競争、『ホントコ!』のワンコーナーでありながら、番組そのものを飲み込んだ「未来日記」、『天才たけし』や『はじめてのおつかい』など、一世代前の番組企画をコーナーとしてパッチワークにすることで、バラエティーと感動をしたたかにミックスした『炎のチャレンジャー』などが挙げられるだろう。

 北田暁大が『嗤う日本のナショナリズム』にて分析したナンシー関の憂鬱を引用するまでもなく、今から振り返れば90年代中盤のテレビ番組の感動志向は明らかだった。私たちは、新シングル発売の条件であるポケビの100万人署名に名を連ね、無料全国ライブの最終公演を地元で鑑賞し、『ガチンコ』のラーメン修行編で笑い、『学校へ行こう!』のチェーンメールで日本全国の「絆」を確認していた。冗談みたいな話だが、ポケビ全国ライブの最終ステージとなる旭川では5万人を集めていた(私も他聞に洩れず参加した。ミーハーだったというよりも、このライブにはクラスの大半が参加しており、無頓着でいるわけにはいかなかったと言い訳しておこう)。小学生当時にそんなものを求めることは無理なことだが、感動志向バラエティーへの批判精神を抜きにしたあまりにも無邪気な享受体験は、その後さらに顕著になる「諧謔・感動」の〈とんねるずウンナン系列〉を称揚することで、「競争・審査」の〈ダウンタウン系列〉の敗退に加担していたのではないか、と。「若手」時代からスタッフネタを随所に仕込み、「見る者」である視聴者の代弁と「見られる者」である芸人の二重の役割を演じたとんねるずに先鞭をつけられた「楽屋オチ」の芸風が、ドリフターズの純粋な追随者たるナイナイと、「見られる者」意識を忘却して「チャレンジ」して見せるウンナンによって継承され、戯画的な形で「ネタがベタ」になる感動志向を前景化させた〈とんねるずウンナン系列〉が、そうした楽屋オチを徹底的に拒絶し、ストイックなまでにプロフェッショナリズムとしての笑いを追求した〈ダウンタウン系列〉を追放したというのが、90年代中盤以降のバラエティー史として理解しているが、煩雑になるのでこれ以上詳述はしない。もちろん、〈ダウンタウン系列〉の〈とんねるずウンナン系列〉への敗退とは、芸人としてのダウンタウンの敗退を意味しない。事実はむしろ逆である。

 しかしそのような図式的な芸能史の確認という目的はあっさり放棄するハメになった。再見したウリナリ社交ダンス部は、バラエティーの感動志向などという抽象的概念以前に、あまりに「弛緩」した映像であったためだ。弛緩とは、同番組が現在ゴールデンタイムで放送されているバラエティー番組と比較して、(1)同番組が現在ゴールデンタイムで放送されているバラエティー番組と比較して、たいへん編集が甘く、撮影素材から放送に至るまでの審査がないに等しいこと、(2)出演者は被写体としてはあまりにも自由に振る舞っており、さらに自由であることを活かしきれていない=取り立てて面白いわけでもないということ、(3)強調すべき発言を字幕として挿入するスーパーが当時ようやく導入されはじめたこと、を意味する。

 (1)同番組を見ていての第一の感想は、「まるで現在の深夜番組みたい」というものだ。それは、秒単位で笑いどころを詰め込み、ボケツッコミ文脈に回収されず、尻切れトンボに終わったやり取りや、素人の介入によるハプニングなど、スムーズに番組を進行させ、視聴者に「ノイズ」となる要素を、編集で神経質なまでに刈り込む現在のゴールデンバラエティーとはまるで違い、編集や被写体の選別といった制作側のコントロールは最小限に抑えられている。そのため過度の編集を必要としない『水曜どうでしょう』のようなグダグダで散漫としたライブ感を視聴者に与える。中途半端なやり取りは中途半端のまま、制作側にとって想定外のノイズはノイズのまま放送される。これが出演者と視聴者の「感動の共有」を促進する効果があったと推測する。

 (2)現在のテレビ番組は、たとえば『笑ってコラえて!』や『モヤモヤさまぁ〜ず』のような素人出演モノであっても、画面に収まるべき被写体としての素人は、撮影者、編集者によって慎重に選別されているのだが、当時はそうした「制作側の権力」はそこまで映像に影響を及ぼしていない。たとえば、南原・杉本彩ペアと天野ひろゆき矢部美穂ペアが力試しに出場した東京大学社交ダンス部の大会では、サークル内のお調子者と思しき学生ペアが、緊張しながら客席で出番を待つ南原らを挑発するように踊りながら接近する。南原はそれに応えるように席を立ち、学生を睨みつける。口笛や拍手で演じられた緊張関係を煽るのはテレビ側ではなくその周囲で鑑賞するサークルの学生である。接近から挑発に至る「ハプニング」から、それをきっかけとする即興の対立関係の発生というバラエティー的に「オイシイ」パッケージは、すべてサークルの学生側に主導権を握られることで生起しており、南原の応答はこの一連の過程のパーツとして添えられるに過ぎない。

 (3)現在、番組によっては、ほとんどすべての会話に対応して表示されるテロップだが、当時はその仕様頻度も目的も限定されていなかった。そもそもニュース番組やワイドショーで要点をまとめるために使用されていたテロップだが、『電波少年』以降、「ここが笑いどころですよ」と笑うポイントを視聴者に啓蒙する「指示機能」としてバラエティー番組で使用されるようになった。『電波少年』と同時期に放送していた『ウリナリ』でも同様に、南原部長のライバルとして南米出身ダンサーという設定で登場する「ブラボー内村」と、アグネスからローラに至る日本語の不出来な外国人枠としてキャスティングされたビビアン・スーとのやり取りでの、「おまえは何が言いたいんだよ」「おまえワンポイントキャラに負けてるじゃねえか」などの南原のツッコミを「笑いどころ」として指示する機能を果たしている(言うまでもなく制作側が笑いどころを指示する傲慢については批判の俎上にあげるべき問題だろう)。しかしテロップ黎明期では必ずしもこの用法に統一されているわけではない。笑いどころの「指示機能」以外にも、画面外からの音声を「枠外からのセリフ」として発話主体を帰属する「フキダシ機能」、「聞き取りにくい音声を文字表記する」純粋な「字幕機能」が、当時のバラエティーには共存していた。これら複数の機能から、他の機能が陥没し、笑いどころの「指示機能」のみが残存し、それ以降、過剰なまでのフルテロップ体制が成立するに至るプロセスは、テレビ史を分析するにあたって重要かもしれない。

 とりとめのない感想の羅列だが、要するに同番組を現在と比較して「バラエティーの感動化」の端緒として再発見するという作業仮説としての私の目的は、現在の番組とのテレビ的表現形式の差異の前にあっさり断念したというわけだ。概念先行で歴史を再解釈する際に、このような断念には頻繁に直面する。やすきよ漫才でも、『ドリフ』でも、『ひょうきん族』でも、私たちは過去に遡行することによって、「昔の番組はよかった」「自由だった」「テレビに希望をもっていた」などという安易な美化から、「お茶の間での家族団らん」から「ワンセグの孤独」、あるいは、放送コードやクレーマーの登場による「バラエティーの不自由」といった概念を先行して取得し、その「物語」を確認強化するためにコンテンツを視聴する。とりわけ宙に浮いた雑駁な概念を、検証なしで適用する行為が「批評」だと錯誤されている昨今、そうした「物語批判という名の物語体験」がいかに溢れているか立ち返ってみればよい。芸人を語るにも、バラエティーを語るにも、私はまだ遠い。