田家大知, 大坪ケムタ著『10年続くアイドル運営術ーゼロから始めた“ゆるめるモ! "の2507日』(2019)

 

本書は「アイドルグループを自分の手で作る」ためのハウツー本です。アイドルブームの終焉と言われて久しく、メジャー所属のアイドルグループまでもが次々と解散しているような状況です。そんなアイドル受難の時代とも言える中、どのようにしてグループをやり繰りしていけば良いのでしょうか?前作『ゼロからでも始められるアイドル運営』では、文字通り無の状態からアイドルを作るノウハウを紹介しましたが、本作はそこからさらに人気を拡大していくためのメソッドやアイデアを紹介しています。これからアイドルを作りたいと考えている人はもちろん、運営に興味がない人も、業界の成り立ちを楽しめる一冊です。

第0章 ワンマンライブとそしてこれから
第1章 CD不況の中で人にリーチする楽曲の工夫
第2章 キャパ1000人を超えてからの展開
第3章 解散してしまうグループの共通点
第4章 アイドル運営を続ける意味と意義
第5章 ゆるめるモ!メンバー座談会

 

2011年アイドルソングベスト21

 流れに乗じて今年のアイドルソングランキングを決定したものの、アイドルソングを評価することそれ自体が、自家撞着という側面が強いということを大前提として触れておきたい。太田省一が『アイドル進化論』にて用いた「批評性」と「感情移入」というファンのアイドルに対する二重の眼差しを援用すれば、80年代アイドルまで「批評性」と「感情移入」が矛盾することなくファンの中で共存していたのに比べて、90年代2000年代になると、「批評性」の眼差しが陥没し、「傷つく少女たち」という被虐性をフックに感情移入するのがファンのアイドルに対する唯一の消費形態として残った。

 太田の雑駁なアイドル史整理には反論の余地があるものの、音楽リテラシーの備わった人ならばともかく、ファンがアイドルについて語るには感動、応援、消費、記憶といった「私的体験」に準拠するより他はなく、客観的指標に逃れることは原則として不可能である。言い換えれば、「私的体験」による「思い出補正」のもとには、どんなクオリティーの低い楽曲すら「神曲」として崇められるのがオチであり、このような思い入れの前には、楽曲の完成度など二の次に過ぎない。

 というアイドルソング評価の不可能性を大前提として共有してしまえば、音楽の素人が選んだランキングなど、インスピレーション以外の何ものでもない。第一印象、ノリの良さ、カタルシス、感情移入、その場の気分。これら全てが混濁したアイドル的意識の断片が、このランキング結果として公表するのみである。

 さて、それでは2011年のアイドル情勢とはどのようなものであったか?一言でまとめてしまえば、AKBグループが昨年に切り開いたアイドルブームが、様々なパターンで拡散していった一年だと言える。それは、(1)東京から各地方都市へ空間的広がり、(2)AKBグループの総選挙に端を発する選別とコンセプトの多様化、(3)その差異化戦略の延長線上としての楽曲の多様化、である。

 ブーム後のニッチ狙い過ぎの差異化徹底は、2000年代中盤から後半のグラビアアイドルブームとして既に体験しているが、今年は歌って踊る正統派アイドルの差異化が徹底した結果、必ずしも知名度の高くないアイドルが偶発的に良曲をリリースすることが多かった。であるならば、中堅以下の実験的アイドルグループが良曲に恵まれ、AKB48グループやハロプロなどの大所帯が伸び悩んだのも必然性がある。ブームを牽引してきたAKBや不沈空母ハロプロは、既にポストアイドルブームを見据え、安牌路線に傾斜しつつあるのが楽曲傾向としても現れたのだろう。

 アイドルにとって楽曲の良し悪しが副次的要素に過ぎないならば、楽曲のクオリティーが低いことなど、ファンには当然甘んじてしかるべき事実であって、偶然出会った楽曲が「良曲」「神曲」であったとしても、それは前述したアイドルブーム余波による差異化戦略の一貫でしかあり得ない。来年以降、固定ファンとマネジメントの蓄積、企画と実行を大胆に行えるこれら大グループを除いて、多くのアイドルグループは適者生存の厳しい洗礼を受けることになるだろう。固定ファン確保やローカルアイドルとしての定着など足元を徹底しない限り、「戦国時代」は「ブーム」として過ぎ去り、今年のような豊作は二度と起こらないかもしれない。

 というわけでランキング。

1.東京女子流/鼓動の秘密
 今年、他を差し置いて注目すべきは当然、東京女子流avexらしく90年代ダンスミュージックの名残を残しながら、名アレンジャーの松井寛によってほとんどの楽曲が編曲されているくれば、ハズレなしだろう。氏のアイドルソングとしては、「アイドル冬の時代」の奇跡的単発のモーニング娘。笑顔YESヌード』に次ぐヒット。シングル曲はもちろん、アルバム曲の完成度も非常に高い。次点に『ヒマワリと星屑』『孤独の果て〜月が泣いている〜』


2.でんぱ組.inc/くちづけキボンヌ
 ベタベタなアイドルポップしか歌っていなかったでんぱ組.incと、かせきさいだぁ、木暮晋也という奇妙な組み合わせで生まれた良曲。経緯も知らないし、およそ偶発的だろうけど、路線変更も考えていいくらい。

3.Tomato n' Pine/ワナダンス!
 『旅立ちトランスファー』や『ジングルガール上位時代』などのシングルもいいけど、『ジングルガール上位時代カップリングのこの曲を。70sディスコソングのようなグルーヴ感が心地よい。

4.BiS/My Ixxx
 アイドルを研究し、アイドルになる。ヤバさを追求するダークホース的なイメージが正しいのかわからないけど、楽曲がいいのは間違いない。メンバーが裸に見えるMVが話題を呼んだこの曲を。次点に『primal.』

5.ノースリーブス/錯覚
 150曲を超える曲がリリースされたAKBグループから、ファンでもほとんどノーマークのこの曲を。フレキスの柏木由紀のように他のユニットが特定メンバー頼みなのに対して、ノースリーブスは三人の歌声が見事に差別化されていてシングル曲も聴き応えがある。最近は『唇触れず…』のようなハードな曲調に傾いているけど、ボイスをPerfumeのようにいじって、意図的に無個性化を狙う意表を突いたこの曲は、ノースリーブスの新たな方向性になるかも。

「作業用BGM」AKB関連のかっこいい曲を集めてみた「AKB48,SKE48」 - ニコニコ動画

6.アイドリング!!!/ア・ナ・ロ・グ
 楽曲傾向が『錯覚』に近いけど。良曲の多いアイドリング!!!からアルバム『SISTERS』収録の『ア・ナ・ロ・グ』。次点に『やらかいはぁと』『いち恋』


7.ぱすぽ☆/少女飛行
 ライバル的な位置のSUPER☆GiRLSに押され気味のぱすぽ☆だけど、楽曲のクオリティーは間違いなくこっちが上。インディーズ時代のハードなロック路線は弱まったものの、アルバム曲と迷ったけどメジャーデビュー曲のこちらを。次点にアルバム『CHECK-IN』収録の『キス=スキ』『Starting Over』。

8.ももいろクローバーZ/オレンジノート
 他の中堅アイドルから頭ひとつ抜けた活躍を見せるももクロからこの名曲を。常に全力でぶち当たるももクロだからこそ歌える切なさがたまらない。曲そのものは去年からライブで歌われていたけど、CD音源はアルバム『バトルアンドロマンス』収録が初なので選曲対象に。次点の『労働讃歌』と最後まで悩んだ。こちらも賛否両論の曲だが、常に攻め続けるももクロファンならば、当然認めるべき一曲。

9.NMB48絶滅黒髪少女
 AKB48グループのシングル曲では今年ナンバーワンのヒット。他グループとの差別化を意識したためか、奇をてらわない王道路線が功を奏した形に。行定勲監督のMVもカッコいい。

http://www.tudou.com/programs/view/7dymgzzq5qU/NMB48_絶滅黒髪少女

10.Dorothy Little Happy/デモサヨナラ
 仙台のローカルアイドルDorothy Little Happyから。少女という一時期の青春に宿る切なさや爽やかを見事に表現した名曲。アイドルソングという形式に純粋にこだわれば、ランキング最上位かもしれない。「好きよ」の反復が心地よく染み入る。

11.AKB48/隣人は傷つかない
 『上からマリコ』に収録のチームAによる一曲。個人的には、『Pioneer』のような宿命感よりも、『胡桃とダイアローグ』のような低音の効いたダークな曲調が好き。次点『Everyday、カチューシャ』『これからWonderland

AKB/48 - 隣人は/傷つかない - ニコニコ動画

12.モーニング娘。/Give me 愛
 10年にわたってモーニング娘。を支える続けた高橋愛をメインボーカルとした一曲。歌唱力の高い彼女の歌がモー娘で聴けなくなるのは悲しい。

以下は曲名のみ。

13.9nineSHINING☆STAR
14.DiVA/No way out
15.pre-dia/Dream Of Love
16.板野友美/wanna be now
17.℃-uteKiss me 愛してる
18.きゃりーぱみゅぱみゅ/チェリーボンボン
19.SKE48オキドキ
20.CQC's/ゆるふわWeekend
21.さくら学院 重音部 BABYMETAL/ド・キ・ド・キ☆モーニング

『MJ AKB48 SPECIAL』から引き出された記憶の連鎖

 さっきNHKでAKB特集やってた。特集といっても、本人がスタジオに来てトークしたりライブしたりするわけでもなく、過去のNHKの番組でのライブのランキングなので、取り立てて新しいわけでもない。でもこれを見ていてなんとも不思議な気分になったのね。今回はその不思議な気分について書こうと思う。

 番組は、NHKのウェブサイトでのインターネット投票の結果を元にした人気楽曲をランキング形式で発表するもの。AKB48本体のランキングと、SKEやNMBなどの派生グループ、ノースリーブスなどのグループ内ユニットのランキングが別々に集計されていたっけ。ファンとしてミソになるのは、単純な人気楽曲のランキングではなく、NHKで放送された映像のランキングであるところ。例えば『Beginner』は全番組で唯一、フルverで流されたし、紅白メドレーはグループ総勢200名前後の大所帯によるもの。NHKでの独自性が加味されて投票が行われた点も、ファンにとって嬉しい企画だろう。

 しかしぼくが今回触れたいのはそこではない。ここ5年のAKBグループの楽曲、数十曲を30分?に凝縮され、シャワーのように連続して浴びせられたときの、何とも言えない懐かしさや悲しさ、自分がアイドルを好きだったということの今更ながらの再確認、自分自身のアイドル体験と共に引き摺り出された過去の記憶、様々な後悔、前向きにさせる魅力についてである。

 いくらかの通好みの楽曲が含まれていたとはいえ、ランキングは基本的に、シングル曲で占められていた。これはテレビ番組であることを考えれば当然だろう。シングル以外の楽曲をテレビ番組で歌うケースなどほとんど存在しないのだから。ランキング上位は多くの人が知る『ヘビーローテーション』『ポニーテールとシュシュ』などが占めていた。ぼくは本来、こうしたシングル楽曲はそこまで好みではないのだ。シングル楽曲は、コアなファン以外にも、ライトなファン、ファン以外の層にも向けて、それなりにポピュラーで当たり障りのない曲調にする必要があるからだ。この「ポピュラー」にも解釈の余地があり、『RIVER』『Beginner』のような攻撃的なR&Bサウンドもあれば、『ポニシュ』『ヘビロテ』のようなポップなアイドルソングでもあり得る。しかしAKBグループの傾向を見てみると、秋元康の好みであろうが、後者のような明るいポップでキュートなアイドルソングが多いと思われる。

 前者の強いメッセージを込めた楽曲や、『てもでもの涙』や『命の使い道』などといった少女の悲哀や満たされない思いを描いたダークな楽曲が好きな自分にとって、この傾向は決して満足のいくものではなかった。アイドルソング評論家としても一部で人気を博しているRHYMESTER宇多丸も、初期の『桜の花びらたち』や『スカートひらり』のようなベタベタのアイドルソングに距離を置き、『RIVER』系列を評価していた。

 というわけで、今回のランキングでフラッシュバックのように連続して流された楽曲は、決して自分の好みのものではない、と思っていた。しかし奇妙なもので、これらを休みなく見ていると、「悪くない」と思えてくるのだ。それは先にも述べた、複数の感情が混濁したような言表しがたい感覚なのだが、その「不思議な気分」は、楽曲そのものの特質というよりも(実は特質も関係しているんだけど)、楽曲によって引き出された記憶に由来するものではないかと考える。

 今でこそAKBオタの自分だけど、中高生の頃は猛烈なハロヲタだった。CDは欠かさず欠い、テレビ番組はすべて録画して何度も鑑賞。ゲームも買ったっけ。スペースヴィーナスね。んで、ここで重要なのは、ぼくはAKBを通じて、この頃の記憶を想起しているのではないかってことなんだよね。つまりこういうこと。AKBの登場も楽曲も、ここ数年のことだ。正確には、2005年末の劇場デビューにはじまる。でも本格的に関心を持ったのはここ2年程度のものだ。ぼくのAKB体験はその程度の短期の希薄なものに過ぎない。しかしAKBのシングル曲の絶妙な「ベタさ」や「古さ」、それを喜んで享受し、「カワイイあの子」の「最高の瞬間」を必死に探している体験のひとつひとつ、そうしたAKB体験の全てが、中高生の頃にハロに対して自分が体験したこととオーバーラップし、10年の時間を超えて記憶を連結させて「懐かしさ」を感じさせているのだ。

 記憶は常に芋づる式に掘り起こされるもので、この「懐かしさ」はアイドルに対する「懐かしさ」だけではなく、ここ10年以上のぼく自身の人生の記憶が否応なしに頭に往来してしまう。当時も今もぼくはアイドルが好きだったし(好きであるし)、当時も今も中途半端でなりたい自分になれていない。当時も今も現実感覚が希薄で、行動して変わることにたいして臆病。でも当時も今も、そんな自分の人生を悪くないと思ってる。おそらく多くの人は、自分の過去の記憶や、記憶に基づく自分の人生に対する評価を、こんな風に、多少の反省や述懐をもちながらも肯定的に捉えるのだろう。それは、ある程度年齢を重ねた人間には、共通して訪れるある種の諦念に類する感覚であるのかもしれない。でも、ぼくはひねくれているからだろうか、そうした思い出のパッケージングを全面的に肯定できるわけでもない。こうしたことを挙げればキリがないのだろうけど、「あの時どうしてもっと必死にならなかったのか」「あの時どうしてあの子に言葉をかけることができなかったのか」、そうした終わりなき後悔の念に苛まれて、深夜の孤独な部屋で絶叫したくなる。いや、してる。

 おそらくここ数年の自分の変化として、ものの見方がずる賢い方向に変わったと思う。恵まれない環境も、ほんのちょっとだけ視点を変えれば、美しく見えてしまう技術が身についてしまったのだ。毎日の退屈な路地の光景も、気分が変われば唯一無二の素晴らしい光景に変わる。そうした感性はロマンチックだろうし、女の子を口説くテクニックとしては悪くないだろう。でもその技術が悪い方向に働いてしまっているのかもしれない。悪くないが、現状を肯定し、それを打破する可能性の模索を諦め、努力を延期する根拠として機能しているのだ。

 「思い出に甘えてはいけない」なんて使い古された箴言もあるけど、記憶の連鎖による、ほとんど無条件のような自己肯定を、過去の美化として閉じ込め、現状追認のロジックとして働かせるのは、何とも不健康だろう。趣味ー記憶ー自我の共犯的な内閉化に完結することなく、これを打開し、自分の不全や未来につなげるためには、どうすればいいか。その方向性が試みられるべきだろう。NHKの短い、決して力が注がれたとはいえないAKBの特集が、そんなことを考えさせてくれた。

アイドル狂人万事快調

 運命的といっても差し支えないような唯一無二のメディア体験を、それ自体固有のものとして他の何ものにも代えることなく、全的に肯定するにふさわしい言説はいかなるものか絶えず自己言及し続けることこそが、メディアそのものの無条件なる擁護に繋がることは、ファンを自称する人びとによってどれほど自覚されているのか定かではないが、体験を時代の徴候とみなすこともなく、集合心理や社会学的帰結とみなす安易な社会反映論に還元することもなく、好きになったものについては一切の批評性を回避し、それでもなお宗教的に信望するわけでもなく、一時的な流行とみなすことでメタレベルの業界目線からその時限性を見定めようとするプロデューサー気取りを断固拒絶し、さらには昨今流行のコミュニケーション論や、個人と社会を短絡させた便利な抽象性を振りかざした若手の評論に頽落することもなく、ただ肯定するその手法をひたすら追求し続ける終わりなき探求の旅路、それはメディアの形式=表現の手法に固有のロジックを導出し、それがあたかも既得権益を保守する勢力であるかのように、形式の反復を実直に見定め、まるで呪文を唱えるかのように止めどなく語り続けることが、形式の反復たる現代のおよそほとんどの文化に共通する所作であるかのように思われるのだが、ことアイドルに関して、固有のロジックとはなにかと問いかけたならば、その起源が1982年であることに異議を唱えるものはいないだろうが、それは72年にデビューした森昌子山口百恵桜田淳子の「花の中三トリオ」、70年代中盤に一斉を風靡した元祖アイドルのキャンディーズ、76年に『ペッパー警部』でデビューし、70年代後半を席巻したピンク・レディーにも増して、松田聖子中森明菜小泉今日子堀ちえみ松本伊代早見優石川秀美ら「花の82年組」の登場こそがアイドル史において重要であるという事実に他ならず、1980年に『裸足の季節』でデビューし、同年の『白いパラソル』、翌年の『青い珊瑚礁』がTBS系列の人気歌番組『ザ・ベストテン』で連続一位を獲得し、「聖子ちゃんカット」の大流行など、アイドルの階段を駆け上り、その勢いが社会現象となった「純粋アイドル」松田聖子に対して、82年に『スローモーション』でデビューした中森明菜が、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」というキャッチフレーズを捨て去るように、松田聖子に正面から反発し、「アイドルよりもアーティスト」を志向し、『サザン・ウィンド』(84)を玉置浩二に、『飾りじゃないのよ涙は』を井上陽水によって作詞・作曲され、デビュー二曲目『少女A』では、「思わせぶりに/口びるぬらし/思わせぶりに/きっかけぐらいは/こっちでつくってあげる」「早熟なのは/しかたがないけど/似たような音/誰でもしているのよ」と「早熟」を強調したことを鑑みれば、彼女が「あなたが望むならわたし何をされてもいいわ」(『青い果実』)と歌った山口百恵的な早熟少女の系譜に連なるという基本的認識がアイドル史の読みとして逸脱したものでないことは多くの人の賛同を得ることができるだろうが、こうした、南沙織松本伊代松田聖子という「純粋アイドル系」アイドルと、山口百恵三原じゅん子中森明菜という「早熟ヤンキー系」アイドルのという系譜に二分して整理されるのに対して、他の同年代アイドルと同じ「聖子ちゃんカット」だった小泉今日子が、83年にリリースした『真っ赤な女の子』から人気が急上昇して、先に述べた松田聖子的な「純粋アイドル」的な形式の反復をもっとも意図的に行った最初のアイドルである点で、アイドル史上なにより重要な存在であることは論を待つはずがなく、"新人放送作家"の秋元康によって作詞された『なんてったってアイドル』(85)では、「スキャンダルならノーサンキュー」「ちょっといかしたミュージシャンとつきあっても」「レポーターをけむにまいちゃうわ」と、「ベタなアイドルはイヤだけど、それでもやっぱりやめられない」心情が歌われた事実に顕著なように、松田聖子の「純粋アイドル系」に正面から反発した中森明菜ら「早熟ヤンキー系」とは異なり、小泉今日子的なアイドル・パロディーは一層巧みに行われたことのさらなる証左として、先の秋元的歌詞世界に加えて、86年に出版された写真集『小泉記念館』では、裸体にペンキを塗って取られた「人拓」(後に本人のものではないことが明らかになる)、同年紅白歌合戦での戦隊ヒーローの悪役のようなゴツゴツした着ぐるみなど、従来の「アイドル的」イメージを意識した上でそれを巧みに侵犯し、「こんなことまでしちゃうけど、それでもわたしアイドル」というパロディーによって独自性を獲得することで、逆説的に「アイドル的」イメージを社会に定着させる結果となったのだが、1980年代終盤に入るとバンドブームの影響もあり、アイドルブームは終焉を迎えることになったのは、ゴールデンタイムの音楽番組が相次いで終了し、アイドルは活躍の場を縮小させた事実に明らかであるし、それを考慮すれば、中山美穂南野陽子浅香唯工藤静香の新時代アイドルに与えられた「アイドル四天王」という呼称はブームの退潮による墓標名のような哀愁すら漂っているようにすら思われるが、こうした「アイドル冬の時代」に対応して登場したのはバラエティ・アイドルとおニャン子クラブであるのは疑いの余地がなく、松本明子、井森美幸森口博子山瀬まみなどのバラエティアイドルバラドル)は、80年代中盤のバラエティー番組ブームに対応して登場した妥協のアイドルに過ぎないにも関わらず、彼女らも小泉今日子にはじまる「アイドル的形式の反復」を一層強化したかたちで活動の範囲を広めることになった結果として強烈な印象を残しているのが、今や伝説となっている『鶴光のオールナイトニッポン』における松本明子のお◯◯こ発言であろうが、この「事件」によってほとんど失業状態まで追い込まれた松本が復活を遂げ、天地真理岩崎宏美太田裕美松田聖子など70年代女性アイドルをレパートリーとした「ものまね」=純粋に反復を追求する芸によって人気を博し、同様に人気低迷していた森口博子は、松田聖子菊池桃子工藤静香らのものまねで人気を博し、「バラドル」の先駆者たりえたことから理解できるだろうし、小泉今日子によって80年代前半に定率された「アイドルを反復するアイドル」という概念が、80年代中盤に彼女らバラドルによって強化され、「アイドル的反復の形式」が社会的に定着することになったもう一つの揺ぎない生成物であるおニャン子クラブは、オーディションをフジテレビ『夕やけニャンニャン』の番組内で行い、成長過程を視聴者と共有していく「プロジェクトとしてのアイドル」として最初の試みであり、プロデューサーの秋元康は、オーディションの審査員を務めるだけではなく、新曲の聴きどころ、歌詞に込められた意味、売り方のコンセプトなどの「裏話」まで番組内で隠さずに語っていたことを踏まえれば、70年代のお化け番組であった『スター誕生!』も、『夕ニャン』と同じように素人参加型オーディションを番組内で行っていた点では同じではないかという批判が聞こえるかもしれないが、それは『スタ誕』の企画構成を担当した作詞家の阿久悠が、番組のコンセプトとして、①「テレビの時代の、テレビの感性における歌や歌手やタレントの必要性」、②「つまらない上手よりも、面白い下手」をあげるように、第一に60年代末から70年代中盤までの家庭の急激なカラーテレビの普及(1966年にはわずか0.3%だった普及率が、1972年には61.1%と半数を突破。1975年には90.3%にも達した)に応答して、テレビ番組的秩序に対応できる「芸能人」をリクルートする必要があったという現実的要請と、第二に急激な社会的変化による新たなアイドル=スター像を模索し続け、彼自身の著書『36歳・青年』にて、「ぼくは、常々、スターの雰囲気とは、"手の届きそうな高嶺の花"か、"手の届かない親近感"のどちらかで、前者の代表が小柳ルミ子、後者の代表が天地真理だといっていたが、ひょっとしたら、もう1パターンあるのではないかという気持ちになってきたのである。それは、"みんなして、高値で咲かせてあげよう"という気分にさせる花である。森昌子はそれにあたらないだろうか…」と述べるように、あくまで"純粋"にアイドルを希求していたのに対して、おニャン子における秋元的手法は、従来番組外で行われるべきオーディションを審査員が視聴者の評価を代弁する形式が定着したのが80年代の最大の社会的文脈の変化である「ギョーカイ(業界)目線を内面化してテレビにツッコむ視聴者」と「ツッコむ視聴者を代弁するテレビ」の共犯関係、言い換えればテレビと視聴者の相互観察によるにるギョーカイ文法の内面化という、80年代的文脈を顕著に番組内容に取り込むことによって成功を収めたという両者の相違点を上げれば、「70年代的」阿久悠と「80年代的」秋元康が、「素人発掘」という単純な番組構成によって同一であるという指摘が的外れであることは直ちに明らかになるだろうという指摘はさておき、90年代後半からは、テレビ東京の番組『ASAYAN』のオーディションにおいてデビューが決まった鈴木あみモーニング娘。が台頭し、Berryz工房℃-uteスマイレージに続く、つんくプロデュースのアイドル集団ハロー!プロジェクトも、03年中田ヤスタカプロデュース、05年『リニアモーターガール』でメジャーデビューし、アイドルとアーティストの曖昧な境界線上を渡り歩くPerfumeも、2005年「秋葉原48プロジェクト」としてオーディションが行われ、同年に専用の劇場から出発し、現在「アイドル戦国時代」のトップランナーとしてブームを牽引するAKB48も、圧倒的な身体能力を余すことなく発揮する全力のパフォーマンスで急上昇するももいろクローバーZも、82年を最大の転換点とする「アイドル的反復の形式」を露骨なまでに、ときには醜悪といえるような強迫観念のごとく固執し、ある場合には形式を保守し、またある場合にはそれを侵犯することで再生産しながら我々が慣れ親しみ、嫌悪し、論評するようなアイドル像が形成される事実に無自覚なあらゆる言説が、熱烈なファンのMIX打ちや歓声であろうとも、インターネット上の呪詛の言葉であろうとも、ピュアな少年組合による握手会の会話の共有であろうとも、アイドルという存在を貶め、「戦国時代」という想像性の欠如した、貧困なる一時的現象を、まさに「ブーム」として埋葬することになるだろう。