社会的行為の動機を理解し、その内面から人間と社会のあり方を考える。これが、近代社会学の祖とされ、社会科学全般に決定的影響を与えたマックス・ヴェーバーの学問の核心にあった。だが、奇妙なことに従来の議論では、彼自身のこの問題意識が見落とされている。本書では、ヴェーバー思想の根幹に「理解」を位置づけ、その業績全体を、理解社会学の確立に向かう壮大なプロジェクトとしてとらえなおす。主要著作を丹念に読み込み、それらを貫く論理を解き明かす画期的入門書。
動機の理解に関心を寄せる
なぜ理解を方法とするのか―二つの流出論批判の意味
理解はどうして可能なのか―解明的理解への道を開く
理解を学問方法にまで鍛える
第2章 理解社会学の最初の実践例―『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む理解社会学の起動
「資本主義の精神」の解明的理解―理解社会学の「問題の立て方」
「禁欲」の動機理解―プロテスタンティズムの価値分析
禁欲と資本主義の精神―その帰結から始まる問い
第3章 理解社会学の仕組み―『経済と社会』『宗教ゲマインシャフト』)を読む(理解社会学の基礎論としての『経済と社会』
基礎概念の編成―行為と秩序の緊張
『宗教マインシャフト』の成り立ち
宗教倫理への問いを定位する―救済宗教への視覚
第4章 理解社会学の展開―『世界宗教の経済倫理』を読む
11, 116 宇都宮, 中野, 小林, 水林編著 『マックス・ヴェーバー研究の現在: 資本主義・民主主義・福祉国家の変容の中で』
39「ここで提示されているのは、人格性なるものが体験と動機と行為の現実連関から超越する何かの実体ではないとする見方であり、この見方は、前段で見たクニースにおける個体概念の実体化(人間学的流出論)への批判とたしかに一体的です。このような観点からヴェーバーは人格性を、当の人物を通常はつねに駆動している動機の型として、すなわち「「恒常的動機」の複合体」として、体験と動機と行為の現実連関におけるその実質的意味から捉えるのでした」