中林春海, 水口崇「ファン心理やその活動と大学生の心理的健康の関係 : 現代社会におけるファナティックの様態と意義」『信州心理臨床紀要』2020年, 19巻, p.33-55

本文

服部恵典「ポルノグラフィ消費者によるジェンダー化されたジャンルの視聴と解釈 ―女性向けアダルトビデオを視聴するファンに着目して」『年報カルチュラル・スタディーズ』2020年, 8巻, p.35-57

本文

ポルノグラフィは、社会的にも社会学的にも議論の係争点であり、ジェンダーの平等が論点となる場合にはとりわけそれが際立つ。その端緒となる反ポルノ派フェミニストの理論が有する問題の1 つに、女性によるポルノの「見方」の多様性を狭めてしまうがゆえに、女性を「被害者」の位置に固定化してしまい、女性が消費者となるポルノグラフィの存在 をうまく説明できないという点がある。
 しかし、女性向けポルノの先行研究が行ってきた、①「正しい」女性表象でないという分析、②「女性」が揺るぎがたく持つ優位性があるという分析、③男性向けポルノと同様の価値観で成り立つという分析、のいずれにも課題が残る。この解決方策として、本稿は女性向けアダルトサイト研究の知見から、ジェンダー化されたジャンル区分そのものを問 う重要性を指摘した。そして「女性向けアダルトビデオ(以下AV)のファンは男性向け/女性向けAV という区分をいかに捉えて視聴しているか」という問いのもとで11 名へのインタビュー調査を行った。
 調査結果から、主流のAV に対するアンチテーゼとして生まれた経緯のある女性向けAVを視聴していても、ファンは単純に男性向けAV を批判するのではなく、「男優ファン」であるがゆえに男性向けAV の視聴を自然にファン活動に組み込んでいたことが明らかになった。しかも男性向け作品を「仕方なく」視聴するのではなく、ある種のトラウマ経験がある女性であっても、両方に良さを感じながら楽しんでいた。また男性向け/女性向けを越境した視聴を行うだけでなく、そうした区分の必然性を揺るがすような捉え方もしていた。こうしたファンの実践は、ジャンル研究の文脈では、デコーディングによるジャンルの脱構築、第三波フェミニズムの文脈では、「被害者」ではなく「消費者」としての「女性」に 着目した、女性性の再構築ないし転覆の可能性の模索であるといえる。

 

小形道正「ファッションを語る方法と課題 ー消費・身体・メディアを越えて」『社会学評論』2013年, 63巻, 4号, p.487-502

本文

現在ファッションに関する研究は, 複雑かつ多岐にわたる一方で, それら諸研究を綜合的な視座から論じる視点は, ほとんど提示されてこなかった. そこで本稿は, まずこれまでのファッション研究の方法論的視線を明らかにしたうえで, 今後の社会学的課題について検討を行う.
本稿では, これまでのファッション研究が, <衣服と○○>という形式において3つの方法論的視線より論じられてきたことを明らかにする. この3つの方法論的視線とは, <衣服と消費>, <衣服と身体>, <衣服とメディア>という視点である.
まず<衣服と消費>では, 2つの側面からファッションにおける流行現象について論じられてきた. しかし, 結果としてこれらの研究は, ファッションの分類学的研究へと収斂する. 次に<衣服と身体>のファッション研究では, 根源的な身体を想定し, 衣服を対象化する現象学的研究が存在する一方で, 衣服の歴史性を論じながら, 形式化された身体を発見する研究が存在する. 最後に<衣服とメディア>に準拠する視線では, ファッションにまつわる雑誌の役割と読者の様態が描写される.
このように本稿では, まずファッション研究における3つの方法論的視線を明示する. そして, 今後のファッション研究における社会学的課題とは, 3つの方法論的視線を継承し, 綜合するだけではなく, <衣服と○○>という形式を越えて, 衣服それ自体の社会性とその変容を論じてゆくことであると提示する.

Finkelstein, J., 1996, After a Fashion, Victoria: Melbourne University Press.

(=1998, 成実弘至訳『ファッションの文化社会学せりか書房.)

栗田宣義, 2008, 「『ファッション系統』の計量社会学序説――東京都内10代女性ファッション誌読者層の分析」『武蔵大学総合研究所紀要』18: 127-57.

稗島武, 2005, 「レディメイドと身体――女性ファッション誌『アンアン』に見る身体イメージの変遷」『社会学評論』56 (1) : 200-13.

園田茂人「食文化の変化にみる東アジアのグローバル化 ーアジアバロメーターのデータ分析から」『社会学評論』2009年, 60巻, 3号, p.396-414

 【本文

東アジアのグローバル化を論じる際に,文化,とくに食文化の変容に焦点が当てられるのは稀で,特定の料理がどのように受容されるにいたるかを研究した例は少なくないものの,各地でどのような食が好まれているかを分析した実証研究は皆無に等しい.
そこで本稿では,こうした研究の間隙を埋めるべく,アジアバロメーターの2006年と07年のデータを利用し,東アジア14の国・地域における食の嗜好を分析してみたところ,D. ヘルドのいうグローバリスト的視点,伝統論的視点,変容論的視点のすべてに適合的な事例がみつかり,個々の国・地域や料理の歴史・特徴によって,グローバル化インパクトは一様でないことが明らかになった.また,総じてグローバル化にさらされることで雑食化の傾向は助長されるものの,こうした傾向がみられない国もあり,一般化がむずかしい状況が確認された.

浜本篤史・園田茂人,2007,「現代中国における日本食伝播の歴史と力学――北京の日本料理店経営者を対象にしたインタビューから」『アジア太平洋討究』9: 1-20.

ジャン=ジャック・ヴュナンビュルジェ著,川那部和恵訳『聖なるもの』(1981→2015=2018)

 

本書は、聖の実践と理論をもとに、聖なるものに関する経験、制度および概念論を大きく通観する。学術的参照範囲は広く、これまで人文科学系の諸分野で言及されてきた関連成果の主要なもののほとんどを網羅。また宗教をとりまく現代文化の危機が表面化するなかで浮上した聖の問題を、哲学者の視点で考察する。

序論

第一部 聖なるものの実践
 第一章 聖なるものの現象学
  Ⅰ 「ヌミノーゼ」の体験
  Ⅱ ヒエロファニー
 第二章 聖なるものの象徴体系
  Ⅰ 象徴言語
  Ⅱ 解釈学的自由
  Ⅲ 祭式遊戯
  Ⅳ 聖なる時空間
 第三章 聖なるものの文化人類学
  Ⅰ 聖職者階級と聖職者の権力
  Ⅱ 社会的なものの象徴的制御

第二部 聖なるものの理論
 第一章 聖なるものの性質
  Ⅰ 聖なるものと俗なるもの
  Ⅱ 禁忌と神秘
  Ⅲ 清浄なるものと不浄なるもの
 第二章 聖なるものの批判
  Ⅰ 聖なるものへの異議申し立て
  Ⅱ 非神聖化をめぐる議論
  Ⅲ 文化の世俗化
 第三章 聖なるものの変容
  Ⅰ 再神聖化と現代性
  Ⅱ 新しい神聖?

結論

訳者あとがき
参考文献
原注
人名索引

 

南谷えり子,井伊あかり著『ファッション都市論-東京・パリ・ニューヨーク』(2004)

 

世界のファッション先端都市―東京・パリ・ニューヨーク。パリは「ファッションの都」として君臨しているが、そこに住む人は「シック」という変わらぬ美意識を持っている。ニューヨークでは、ビジネスの成功のために服が選ばれる。そして東京は?世界一のブランド輸入都市でありつつ、「カワイさ」「自由さ」に依拠した斬新なファッションが生まれている。移ろいやすく、気紛れな「ファッション」から、都市の文化・歴史・感性を捉える新しい試み。

序章 都市とファッション
  ところ変われば……/ファッションとは何か?/ファッションは“いま”しか認めない
  ファッションは消費される/人はなぜ、ファッションにこだわるのか?

第一章 パリとファッションの幸福な関係
 パリの愉しみ
  ショッピングの都/パサージュと百貨店
 パリ・コレクション
  国際色豊かなファッションイベント/パリコレ狂想曲/クリエイションの闘い
 パリの努力
  才能を受け入れる街/才能を育む街
 国家による支援体制
  パリ・ファッションの危機/文化省の政策/レジオン・ドヌール勲章
  パリの重要産業、ファッション/パリ・ファッションを支える(!?)日本人 
 素顔のパリ
  パリは本当にファッショナブル?/シック、これぞパリ!/シックの前歴――エレガンス
  シンプルの美学、シック/ユースカルチャーの登場/シックvsルック/スタイルとは何か?
  シックはアンチ・ファッション?/伝統と成熟の価値/シックなパリジェンヌ

第二章 ニューヨーク、ファッションという名のマーケティング
 ドレス・フォー・サクセス
  マダムからキャリアウーマンへ/キャリアウーマン御用達/アメリカン・スポーツウエア
  成功のための着こなし術
 マーケティングからファッションが生まれる
  クリエイティヴ・デイレクターの元祖、ラルフ・ローレン
  ヴィジュアル・マーチャンダイジングの伝統
  トレンドセッターは小売店 1 権限の集中 2 カタログビジネス
  ターゲットは常に富裕層/トレードシティ、ニューヨーク
 ニューヨークvsパリ、コレクションの違い

第三章 浮遊都市東京
 トウキョウはクール? 
 表参道――ファッションの縮図
  メイド・イン・トウキョウ/原宿族の誕生/マンションメーカーの時代
  「ストリートファッション」の系譜/裏原宿――ストリート以上ハイファッション未満
  雑誌が流行を作る
 渋谷――若者の文化と風俗
  公園通り・DCブーム /渋谷系――キーワードは〈リミックス〉/ギャルファッションのメッカ 
 トウキョウ的なるもの
  kawaii/注目されるアニメ・マンガ的身体観/『TOKYO EYES』/ 浮遊都市トウキョウ
  意味の呪縛からの解放

結び ファッションから見える都市の姿
  最小単位の都市の景観/越境するファッション、融合する文化
  東京・パリ・ニューヨーク 都市の感性

あとがき

 

小河原あや「ヒッチコック『ロープ』の長廻し移動撮影とショット繋ぎにおける「精神/道徳的」表現 ーロメール&シャブロルの議論を導き手に」『映像学』2014年, 93巻, p.23-40,94-95

本文

  Hitchcock's famous use of long takes and a tracking camera in Rope (1948) was criticized by Truffaut and others as being a rejection of montage. Hitchcock himself considered the film 'pure cinema' - the movement of camera and performers creating new compositions and maintaining continuity. French Nouvelle Vague directors, Rohmer and Chabrol, noted the film's 'sense of continuous space'. This paper examines Rope, in reference to their analysis, and posits that the moving camera creates a moral dimension.

  The film uses long takes for its entire running length, resulting in a tension between the visible (the party) and the invisible (the hidden dead body). The tracking camera inevitably presents the spaces between characters and objects, emphasizes their relationships and implies their inner thoughts.

  Despite its seeming continuity, however, there are nine hidden cuts. Some of them are eyeline matches to represent the moral leader's viewpoint. Others are edited in the black space of a character's back or the upturned lid of a chest. By moving the camera in such moments to exchange two characters' positions, Hitchcock not only creates a 'sense of continuous space' but represents the 'transfer of guilt'. Thus, 'pure' cinematographic technique is used to represent morality.