桶川泰「恋愛ハウトゥが提供する純粋な関係性をめぐる自己知 ー1985年から2007年までの女性誌を分析資料として」『社会学評論』2016年, 67巻, 1号, p.2-20

本文

本稿では, 女性誌に載せられた恋愛ハウトゥから純粋な関係性を志向する自己知を探索し, さらに分類・整序することによって如何なる助言をめぐる言説から成り立っているのかを明らかにした. 女性誌の恋愛ハウトゥ記事の中でも, (a)「(あなたは) ~のために~の状態・行動パターンに陷っていないか」「~の思考状態になると恋は上手くいかない」, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」といった自己発見・自己変革を促す助言が載せられた記事を分析資料としている.

分析の結果, 女性誌の恋愛ハウトゥには(a)「自己否定意識・拒否される恐怖感が強いために, コミットする積極性を失っている状態になっていませんか」「独占欲・嫉妬心・依存心の強さからオーバー・コミットメントを行っている状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を抑圧し, 相手の欲求を満たすことに没頭する状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を満たすことのみを優先し, 相手の欲求に無関心・無配慮な状態になっていませんか」などの言説が存在していた.

一方, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」という自己変革を促す言説は, 多くの相反する様相を呈する助言で氾濫するようになっていた.

 谷本奈穂, 2008, 『恋愛の社会学――「遊び」とロマンティック・ラブの変容』青弓社

牧野智和, 2015, 『日常に侵入する自己啓発――生き方・手帳術・片づけ』勁草書房. 既読

日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

  • 作者:牧野 智和
  • 発売日: 2015/04/09
  • メディア: 単行本
 

 



ジョナサン・ハイト著, 高橋洋訳『社会はなぜ左と右にわかれるのか-対立を超えるための道徳心理学』(2012=2014)

 

リベラルはなぜ勝てないのか?政治は「理性」ではなく「感情」だ―気鋭の社会心理学者が、哲学、社会学、人類学、進化理論などの知見を駆使して現代アメリカ政治の分断状況に迫り、新たな道徳の心理学を提唱する。左派と右派の対立が激化する構図を明解に解説した全米ベストセラー。

【第1部 まず直観、それから戦略的な思考】
――心は〈乗り手〉と〈象〉に分かれる。〈乗り手〉の仕事は〈象〉に仕えることだ

第1章 道徳の起源
第2章 理性の尻尾を振る直観的な犬
第3章 〈象〉の支配
第4章 私に清き一票を


【第2部 道徳は危害と公正だけではない】
――〈正義心〉は、六種類の味覚センサーをもつ舌だ

第5章 奇妙(WEIRD)な道徳を超えて
第6章 〈正義心〉の味覚受容器
第7章 政治の道徳的基盤
第8章 保守主義者の優位


【第3部 道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする】
――私たちの90%はチンパンジーで、10%はミツバチだ

第9章 私たちはなぜ集団を志向するのか?
第10章 ミツバチスイッチ
第11章 宗教はチームスポーツだ
第12章 もっと建設的な議論ができないものか?

 

打越文弥, 前嶋直樹「社会科学におけるメカニズム的説明の可能性ー因果生成プロセス解明に挑む分析社会学」『書評ソシオロゴス』2015年, 11巻, 1号, p. 1-28

本文

石田浩「社会科学における因果推論の可能性」【本文

赤枝『現代日本における都市メカニズムー都市の計量社会学

 

安高啓朗「ネオリベラリズムの生命力 ―世界金融危機後のアメリカにみるネオリベラリズムの行為遂行的効果」『年報政治学』2017年, 68巻, 1号, p.1_57-1_79

本文

世界金融危機後も依然として強い影響力を保ち続けているネオリベラリズム (新自由主義) の持続性は, 近年の研究における一つの焦点となっている。本稿は, ネオリベラリズムがどのように危機後も生き延びたか, またオルタナティヴな構想が真剣な議論の対象とならないのかについて, 行為遂行的効果という観点から考察する。経済社会学における行為遂行性論と, 「経済による政治の脱魔術化」 としてのネオリベラリズムというW・デービスの定義にもとづいて, 本稿では経済的な尺度が自律した政治的思考を抑圧する形で成立するネオリベラリズムが, 観念の次元で政策を規定するだけでなく, 市場の諸装置にまで及んでいることで半ば自然化されていることを論じる。そこでは, 経済学自体が統治メカニズムの一部となることによって, 経済合理性や道具的理性に合致しないものは規範理論として退けられる。行為遂行性をめぐる政治は, ネオリベラリズムの下では常に非対称的な関係の中でしか行われないのである。

若森みどり. 2015.『カール・ポランニーの経済学入門―ポスト新自由主義
代の思想』

 

鈴木一人「主権と資本 ―グローバル市場で国家はどこまで自律性を維持出来るのか」『年報政治学』2019年, 70巻, 1号, p.1_56-1_75

本文

主権国家システムと資本主義システムは近代のシステムの両輪として発達した。しかし、ニクソンショックによって変動相場制へと移行したことで自由な資本移動が可能となり、それが主権国家の自律的な経済財政政策を困難にさせるようになってきた。開放経済の下では資本移動の自由と安定した為替と自律的な金融政策の三つが同時に成立しないトリレンマが起こるが、ニクソンショックを契機に加速するグローバルな資本移動が所与のものとなり、不安定な為替に耐えられない多くの国は実質的な自律性を失っていく。また深刻な債務危機に陥った国家はIMFによるコンディショナリティによっても自律性を失っていく。自律性を失いながらも法的な主権を維持し続ける国家は、自らの自律性を回復させる運動として、他国に対する排他的な政策、すなわち保護主義的ないしポピュリスト的な政策を取るようになる。しかし、そうした排他的な政策もそれを実行する能力の有無によって不平等な状況が生まれ、法的な平等性は維持されながらも実質的な自律的統治能力の不平等性が生まれる状況になっている。

P. J. ケイン、A. G. ホプキンズ(竹内幸雄、秋田茂訳)『ジェントルマン資本主義の帝国I:創生と膨張 1688 ~ 1914』、同(木畑洋一、旦祐介訳)『ジェント ルマン資本主義の帝国II:危機と解体 1914 ~ 1990』

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

 

ダニ・ロドリック(柴山桂太、大川良文訳)『グローバリゼーション・パラドクス― 世界経済の未来を決める三つの道』既読

 

豊永耕平「出身大学の学校歴と専攻分野が初職に与える影響の男女比較分析 ー学校歴効果の限定性と専攻間トラッキング」『社会学評論』2018年, 69巻, 2号, p.162-178

本文

本稿では, 出身大学の学校歴と専攻分野が初職にもたらす影響の男女比較分析を行った. 高等教育の大衆化の中で大卒学歴内部の相対的な格差は拡大傾向にあるが, 既存研究では大卒男性の学校歴に着目した研究が蓄積されてきた一方で, 専攻分野や出身階層に着目した研究はほとんど蓄積されておらず, 大卒女性も分析対象から除外されてきた. SSM1995年調査, 2005年調査, 2015年調査の合併データを用いて専攻分野, 出身階層, 大卒女性も含めた分析を行った結果, 以下の3点が示された. 第1に, 学校歴は訓練可能性のシグナルとして初職の企業規模を左右する一方, 専攻分野もまた職場で応用可能な能力のシグナルとして専門職入職に影響していた. 第2に, 出身階層の初職への影響は, 学校歴というよりも専攻分野が大きく媒介しており, 世代間移動を説明するのに将来的な職業達成を見通した専攻分野選択とその階層差が重要な役割を果たしていた. 第3に, 専攻分野が初職にもたらす影響にはジェンダー差があり, 人文系出身者の初職での不利は男性に限定的である一方で, 同じ理工系出身でも女性は男性ほど事務販売職と比べて専門職になりやすいわけではなかった. 以上から, 学校歴が大きく影響するのは企業規模であるという限定性があるのに対して, 一見すると自由な教育選択による専攻間トラッキングもまた出身階層や男女間の差異を伴って重要な役割を果たしていることが示された.

 

高艸賢「アルフレート・シュッツの社会科学の基礎づけに おける生世界概念の導入の契機と意義 ー生成から世界への内属へ」『社会学評論』2019年, 69巻, 4号, p.468-484

本文

アルフレート・シュッツの生世界論は,社会学の研究対象領域の1 つを提示しているだけでなく,社会科学の意味を反省するための手がかりを与えている.本稿の問いは,シュッツにおいて生世界概念は何を契機として導入され,その結果彼の論理はどのように変わったのか,という点にある.その際,シュッツの社会科学の基礎づけのプロジェクトに含まれる2 つの問題平面を区別し,社会科学者もまた生を営む人間(科学する生)だという点に注目する.
1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈される.
生世界概念の導入によって,日常を生きる人間も科学に従事する人間も,世界に内属する生として捉え直された.私を超越し一切の活動の普遍的基盤をなす世界の中で,生は間主観性・歴史性・パースペクティヴ性を伴う.この観点からシュッツは科学する生を,科学の間主観的構造,科学的状況と科学の媒体としてのシンボルの歴史的成立,レリヴァンス構造による科学的探究のパースペクティヴ性という3 点によって特徴づけた.