『表象』12. 2008.

 

表象12:展示空間のシアトリカリティ

表象12:展示空間のシアトリカリティ

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 月曜社
  • 発売日: 2018/04/26
  • メディア: 単行本
 

近年の映像技術やメディア環境の発展に伴い、ダンスやパフォーマンスの身体表現をどのように作品として収蔵し展示するかという問題意識がますます高まってきている。特集では、美術館における身体表現のアーカイブ化、新たな観客の身体経験の登場といった、美術と舞台芸術を横断する諸問題の検討を通して、パフォーマンスと展示の現在をめぐって多角的に論じる。また、亀山郁夫東浩紀らの白熱するドストエフスキー座談会を特別掲載。

◆巻頭言◆
「二一世紀の文学部」佐藤良明

◆特集◆「展示空間のシアトリカリティ」
共同討議「越境するパフォーマンス──美術館と劇場の狭間で」加治屋健司+門林岳史+中島那奈子+三輪健仁+星野太
「ブラストセオリー──都市と記憶を斜めに横断する」住友文彦
「演劇性の拡張──演劇と現代アートの交錯をめぐって」相馬千秋
インスタレーション政治学」ボリス・グロイス|星野太+石川達紘訳

◆特別掲載◆
座談会「ドストエフスキーの現在をめぐって──テロル、キャラクター、家族の哲学」東浩紀亀山郁夫+乗松亨平+番場俊

◆投稿論文◆
「近代運動」のパリンプセスト──《トッレ・ヴェラスカ》とエルネスト・ロジャースの建築論」鯖江秀樹
「水晶とカテドラル──ヴィオレ゠ル゠デュクの構造概念」後藤武
「演奏する映画/歌い終えるオペラ──一九一〇~二〇年代のシェーンベルクの舞台作品と映画との関係」白井史人
「環境芸術以後の日本美術における音響技術──一九七〇年代前半の美共闘世代を中心に」金子智太郎
梶井基次郎の歩行──「路上」における空漠の美と抵抗」坂口周
のらくろは口笛を吹かない?──昭和戦前・戦中期の子供向け物語漫画における口の表現」宮本大人
「グランド・ナラティヴの誘惑──人新世、新たなエポックへの批判的介入に向けて」飯田麻結

◆書評+ブックガイド◆
「修辞学的崇高の新しい地平──星野太『崇高の修辞学』書評」谷川渥
ユートピア建築家の夢と革命都市──小澤京子『ユートピア都市の書法──クロード゠ニコラ・ルドゥの建築思想』書評」大橋完太郎
「過去に触れる、身振りをなぞる──田中純『歴史の地震計──アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』書評」岡本源太
「「これは比喩ではない」──高村峰生『触れることのモダニティ──ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミンメルロ=ポンティ』書評」三原芳秋
「「文化史」への挑戦──井戸美里『戦国期風俗図の文化史──吉川・毛利氏と「月次風俗図屏風』書評」斉藤研一
モダニズム美術の危うさ──利根川由奈『ルネ・マグリット──国家を背負わされた画家』書評」香川檀
「網膜と表象──増田展大『科学者の網膜──身体をめぐる映像技術論 一八八〇―一九一〇』書評」大久保遼
「変貌するペルソナ──北村匡平『スター女優の文化社会学──戦後日本が欲望した聖女と魔女』書評」河野真理江
「特攻隊表象を「食い破る」ものたちのために──中村秀之『特攻隊映画の系譜学──敗戦日本の哀悼劇』書評」田中純
「その子はいかにして救われたのか──岡田温司『映画とキリスト』書評」森元庸介
「アニメーション表現の「向こう側」を志向する実践の書──土居伸彰『個人的なハーモニー──ノルシュテインと現代アニメーション論』書評」石岡良治
「〈プレイ〉と〈パフォーマンス〉のあいだで──大久保美紀『Exposition de soi à l'époque mobile/liquide(可動的/流動的時代の自己表象)』書評」熊谷謙介

椹木野衣著『反アート入門』(2010)

 

反アート入門

反アート入門

 

芸術には芸術の分際がある。アートの出生とその証明。ポップアートと死の平等。あまりに根源的な(反)入門書。

第1の門 アートとはどういうものか

 アートの出生とその証明
 ジャンルはどのように分化したのか ほか
第2の門 アート・イン・アメリカ

 アートの独創vs.習熟の奨励
 MoMAという新規格 ほか
第3の門 冷戦後のアート・ワールド

 アメリカのアートがすべてではなかった
 ウエスト・コーストからの妄想と惨劇 ほか
第4の門 貨幣とアート 

 アートと投機マネーはよく似ている
 蓄財家たちの癒されない渇望 ほか
最後の門 アートの行方

 わたしたちにとってのアートとは?
 「あらわれ」と「消え去り」のアート ほか

45 ジャスパー・ジョーンズロバート・ラウシェンバーグ

55 ミニマル・アート, 「箱」で有名なドナルド・ジャッド、「2001年宇宙の旅」のモノリスのヒントになったと言われるジョン・マックラケンの「板」、カール・アンドレの平板彫刻、丸や三角を多用するロバート・モリスやソル・ルウィット 

62 マイケル・フリードによるミニマル・アート批判「芸術と客体性」

ミニマリズムは、ひとつの大きな過ちをおかした。彼らは、作品はそれらが作られる素材や形式に忠実でなければならないというミニマリズムの考えに、馬鹿正直なほど忠実すぎた。その結果、作品からイメージや物語のたぐいは一掃されたけれども、その代わり、作品は単なる箱や棒や板のような物的対象にまで還元されてしまった。

 けれども、モダニズムの作品にとって重要なのは、絵画や彫刻というジャンルについての感覚を研ぎすますことにある。彼らは、そうした最低限のジャンルについての規律すら溶解させてしまった。その時、なにが起こったか。結局、作品は見るに値する内容を失い、見るべきものを失った鑑賞者は、なす術もなく作品のまわりをグルグル回るしかない。

 視覚を第一義とすべき美術作品にとって、これはゆゆしき事態である。見ることよりも、身体性や時間の推移のほうが前面に出てしまっている。これは、美術というよりも演劇の醸し出す事態に近い。これに対し、見るという経験は、いかなる時間的経過や身体も必要とせず、瞬時にして成立するものだ。われわれが絵画や彫刻を通じて得るのは、そのような明白な無時間的体験でなければならない」

67 ロバート・スミッソン、マイケル・フリード流のモダニズムを批判。ロバート・モリス、アースワークを好意的に解釈。美術館・ギャラリーもまた時間的経験である。

苅谷剛彦著『追いついた近代 消えた近代-戦後日本の自己像と教育』(2019)

 

追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育

追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育

 

西欧に追いつき,追い越す――.明治以降の近代化と敗戦を経て,1980年代に「追いつき型近代」を達成した日本は,どのような自己像をもち,社会の変化に対応しようとしてきたのか.本書では教育政策を過去と未来をつなぐ結節点ととらえ,政策文書や知識人・研究者の言説を繙き,現在につづく問題群の原点を抉り出す.著者渡欧以降10年来の力を注いだ意欲作.

プロローグ 消えた近代


第一章 「近代化論」―― その受容と変容
 はじめに
 一 近代化論の骨格
 二 箱根会議に見る視点の対立軸
 三 自然成長的近代化と目的意識的・選択的近代化 ―― キャッチアップ型近代化への道
 四 もう一つの目的意識的・選択的近代化の受容


第二章 「追いつき型近代」の認識
 はじめに
 一 政策言説の分析方法と補助線となる理論枠組み
 二 大平政策研究会の認識
 三 大平政策研究会の位置づけ
 四 「それ以前」の近代(化)理解
 おわりに


第三章 臨時教育審議会の近代
 一 なぜ「教育」政策言説なのか
 二 「近代化と教育」再考
 三 臨時教育審議会の認識 ―― 「追いつき型近代化と教育」の認定
 四 香山健一の近代化理解
 五 香山の近代理解と臨教審
  結論
 第三章補論 日本型福祉社会論とキャッチアップ型近代の終焉


第四章 高等教育政策 ―― 二〇〇〇年代の迷走
 一 高等教育のパラドクス
 二 焦眉の急 ―― グローバル化への対応の遅れ
 三 「変化への対応」という問題
 四 「社会と大学の断絶・齟齬」説の原型
 五 「社会の変化」の変節
 六 新自由主義と小さな政府
  結論


第五章 教育研究言説の「近代」
 はじめに
 一 「逆コース」の時間差
 二 問題構築の原点 ―― 文部省『新教育指針』(一九四六‐四七)
 三 「逆コース」に見る対立軸と戦後の近代(化)理解 ―― 教育基本法をめぐる攻防
 四 国家と公教育 ―― 古くて新しい近代の問題
 五 キャッチアップ一度目の到達点とその後


第六章 経済と教育の「近代」
 はじめに
 一 能力主義的教育批判に見る経済と教育の結合
 二 経済審議会答申の「近代」
 三 学歴社会・受験教育の「近代」 ―― 能力主義的教育の読み換え
 四 後発型近代(化)の経験と後発効果の「近代」


第七章 外在する「近代」の消失と日本の迷走
 一 日本人は優れているか
 二 「産業化・経済に照準した近代(化)理解」の問題
 三 外在する「近代」の実体化
 四 欠如する「主体(性)」の変節(「その後」の問題一)
 五 「エセ演繹型の政策思考」と主体(性)の空転(「その後」の問題二)
 六 呼び込まれる外部の参照点


エピローグ 内部の参照点を呼び覚ます ―― 交錯する近代の視点
 一 エセ演繹型から帰納的思考へ
 二 生活者 ―― 「弱い個人」の主体
 三 交錯する外部と内部の参照点


既出関連文献
引用文献
関連年表
事項索引・人名索引
書評情報

 

 

鈴木智彦著『サカナとヤクザ-暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(2018)

 

サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う

サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う

 

築地市場から密漁団まで、決死の潜入ルポ!

 アワビもウナギもカニも、日本人の口にしている大多数が実は密漁品であり、その密漁ビジネスは、暴力団の巨大な資金源となっている。その実態を突き止めるため、築地市場への潜入労働をはじめ、北海道から九州、台湾、香港まで、著者は突撃取材を敢行する。豊洲市場がスタートするいま、日本の食品業界最大のタブーに迫る衝撃のルポである。
〈密漁を求めて全国を、時に海外を回り、結果、2013年から丸5年取材することになってしまった。公然の秘密とされながら、これまでその詳細が報道されたことはほとんどなく、取材はまるでアドベンチャー・ツアーだった。
 ライター仕事の醍醐味は人外魔境に突っ込み、目の前に広がる光景を切り取ってくることにある。そんな場所が生活のごく身近に、ほぼ手つかずの状態で残っていたのだ。加えて我々は毎日、そこから送られてくる海の幸を食べて暮らしている。暴力団はマスコミがいうほど闇ではないが、暴力団と我々の懸隔を架橋するものが海産物だとは思わなかった。
 ようこそ、21世紀の日本に残る最後の秘境へ――。〉(「はじめに」より) 

第1章 岩手・宮城 三陸アワビ密漁団VS海保の頂上作戦
第2章 東京 築地市場の潜入労働4ヶ月
第3章 北海道 “黒いダイヤ”ナマコ密漁バブル
第4章 千葉 暴力の港銚子の支配者、高寅
第5章 再び北海道 東西冷戦に翻弄されたカニの戦後史
第6章 九州・台湾・香港 追跡!ウナギ国際密輸シンジケート

ジョナサン・ウルフ著, 大澤津, 原田健二朗訳『「正しい政策」がないならどうすべきか-政策のための哲学』(2011=2016)

 

「正しい政策」がないならどうすべきか: 政策のための哲学

「正しい政策」がないならどうすべきか: 政策のための哲学

 

伝統的な哲学は、正義の理論や共通善の説明を作り上げ、それが多くの政策課題についてもつ含意を示すというやり方で、政策の問いを考えてきた。しかし本書は、現実世界で直面する政策課題から出発し、哲学だけでなく、歴史学社会学、科学的証拠を使い、なぜいまそれが問題になっているのかを解明し理解することを目指す。

序論
第1章 動物実験
第2章 ギャンブル
第3章 ドラッグ
第4章 安全性
第5章 犯罪と刑罰
第6章 健康
第7章 障碍
第8章 自由市場
第9章 結論

 

藤木秀朗著『映画観客とは何者か-メディアと社会全体の近現代史』(2019)

 

映画観客とは何者か―メディアと社会主体の近現代史―

映画観客とは何者か―メディアと社会主体の近現代史―

 

民衆・国民・東亜民族・大衆・市民 ——。映画館でシネマを観る「数」であるにとどまらず、映画や社会と多様な関係をとりむすぶ人々のあり様を、大正期から現在まで、社会主体をめぐる言説に注目することで、変容する政治やメディア環境との交渉のうちに浮かび上がらせた、映画観客100年史。

序 章
     映画観客へのアプローチ
     偶発性からの社会主体と歴史

第Ⅰ部 民 衆

 第1章 社会主体のはじまり
      —— 民衆娯楽・社会教育による「民衆」と映画観客
     社会問題としての「民衆」—— 階級、自発性、ジェンダー
    「社会」主体としての「民衆」
     民衆娯楽としての映画と「民衆」
     社会教育としての映画と「民衆」
    「社会」主体としての「民衆」映画観客

第Ⅱ部 国 民

 第2章 総力戦とトランスメディア的消費文化
      ——「国民」の再定義と矛盾をめぐって
    「国民」の再定義 ——「民衆」の更新
     トランスメディア的消費文化と「大衆」
     消費主体の経験
     消費主体の「国民」化 ——(反)資本主義、階級、ジェンダー
     総力戦体制とメディア環境

 第3章 「国民」への動員
      —— 映画観客と総力戦、そして戦後
     映画独自の力
     映画統制と消費文化
    「新しい観客」
     矛盾と葛藤の否認 —— 消費文化、地域、ジェンダーをめぐって
    「国民映画」と「文化映画」
     戦後、そして現代へ

第Ⅲ部 東亜民族

 第4章 「東亜民族」の創造/想像
      —— 帝国日本のファンタジーと映画による動員
     帝国と「東亜民族」
     帝国と映画政策
     同一性のファンタジー
     ひそやかな中心性
     身体的感覚への訴え、または「精神」と科学
     動員システムと映画
     帝国と資本主義
     資本主義の外部
     ポスト帝国 —— 忘却とファンタジー

第Ⅳ部 大 衆

 第5章 テレビと原子力の時代への「大衆」ポリティクス
      —— 大衆社会論、大衆文化論、マス・コミュニケーション論
    「大衆」ポリティクスのはじまり —— 戦前戦中日本の言説形成
     システムに内在化された「大衆」—— 大衆社会
     システムの閾にある「大衆」—— 大衆文化論
    「大衆」の(脱)政治化 —— マス・コミュニケーション論

 第6章 民主としての「大衆」
      —— テレビによるトランスメディア的消費文化の再編と映画観客
     消費生活的な民主 —— テレビ論
     トランスメディア的消費文化の再編
     近代政治的な民主 —— 映画観客の再定義
    「大衆」は消滅したのか

第Ⅴ部 市 民

 第7章 脆弱な主体としての「市民」
      —— 戦後とリスクの時代の個人化とネットワーク化
    「市民」の歴史的編成
     リスクの時代 —— フレキシブルでプレカリアスかつ自己規律的な自己責任の主体
     権力ネットワークと領土化志向の「市民」ネットワーク

 第8章 「市民」の多孔的親密-公共圏
      —— 自主上映会とソーシャル・メディアのトランスメディア的社会運動
     親密圏のネットワーク ——「市民」の再編成
     社会運動の更新とソーシャル・メディア
    「市民」による自主上映

終 章

 

林綾野著『モネ 庭とレシピ』(2011)

 

モネ 庭とレシピ

モネ 庭とレシピ

  • 作者:林 綾野
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

こだわりの巨匠のあまりに完璧な終の棲家!お気に入り料理を再現、レシピ21点掲載。

こだわりの人、モネ
庭と食をめぐる作品ギャラリー
モネ庭とレシピ
ジヴェルニーへ
モネの庭
桃色の家
ジヴェルニーの食卓再現レシピ

 ニンニクスープ
 ネギとジャガイモのスープ
 リヨン風ポーチドエッグのグラタン ほか