小田部胤久著『美学』(2020)

 

美学は18世紀半ばに作られた哲学的学問であり、「感性」「芸術」「美」という主題が収斂するところに成立した。美学の古典といえるカント『判断力批判』(1790年)を題材にし、そこでの重要なテーマをめぐって、古代ギリシアから21世紀までの美学史を概説する。美学を深く学ぶための決定版。

序文

第I章 美の無関心性
A 美しいものの分析論――質に即して
B カント『判断力批判』前史
C 実践的無関心と美的関与

第II章 趣味判断の普遍妥当性
A 美しいものの分析論――量に即して
B 趣味の普遍性ならびに快の本性
C 二〇世紀の趣味論

第III章 目的なき合目的性
A 美しきものの分析論――関係に即して
B 美と合目的性
C 目的なき合目的性のゆくえ

第IV章 趣味判断の範例性
A 美しいものの分析――様相に即して
B 範型・実例・模範
C 範例性のゆくえ

第V章 感性の制約と構想力の拡張
A 崇高なものの分析論
B 言語の崇高さから自然の崇高さへ
C 崇高論のその後

第VI章 構想力と共通感官
A 美的判断の演繹論
B 共通感覚論の系譜
C 二〇世紀の共通感覚論

第VII章 美しいものから道徳的なものへ
A 美しいものへの関心
B 社交人・未開人・隠遁者
C 自然の暗号文字

第VIII章 「美しい技術」としての芸術
A 美術論(その一)
B 芸術の誕生
C 範例的独創性

第IX章 「美的理念」と芸術ジャンル論
A 芸術論(その二)
B ライプニッツ的感性論の系譜
C カント的芸術論のゆくえ

第X章 美しいものと超感性的なもの
A 美的判断力の弁証法
B 認識・感情・欲求
C 美的なものと生

あとがき
用語解説
読書案内

 

東浩紀著『セカイからもっと近くに -現実から切り離された文学の諸問題』(2013)

 

想像力と現実が切り離された時代に、文学にはいったい何ができるだろう。ライトノベル・ミステリ・アニメ・SF、異なるジャンルの作家たちは、遠く離れてしまった創作と現実をどのように繋ぎあわせようとしていたのか。新井素子法月綸太郎押井守小松左京――四人の作家がそれぞれの方法で試みた、虚構と現実の再縫合。彼らの作品に残された現実の痕跡を辿りながら、文学の可能性を探究する。著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論。

はじめに
第一章 新井素子と家族の問題
第二章 法月綸太郎と恋愛の問題
第三章 押井守とループの問題
第四章 小松左京と未来の問題
参照文献

 

井奥陽子著『近代美学入門』(2023)

 

近代美学は、17〜19世紀のヨーロッパで成立しました。美学と言っても、難しく考えることはありません。「風に舞う桜の花びらに思わず足を止め、この感情はなんだろうと考えたなら、そのときはもう美学を始めている」ことになるからです。本書は、芸術、芸術家、美、崇高、ピクチャレスクといった概念の変遷をたどり、その成立過程を明らかにしていきます。

第1章 芸術―技術から芸術へ

 「建築は芸術か」
 アート=技術(古代〜中世)
 アートは技術(学芸)の意味だった
 アート=芸術(近代以降)何が芸術で、何が芸術でないのか?
第2章 芸術家―職人から独創的な天才へ

 「独創的な芸術家は世界を創造する」
 芸術家をとりまく環境と作者の地位の変遷
 芸術家にまつわる概念の変遷
 作者と作品の関係をどう捉えるか?
第3章 美―均整のとれたものから各人が感じるものへ

 「美は感じる人のなかにある」
 美の客観主義(古代〜初期近代)
 美の主観主義(18世紀以降)
 美の概念とどのように付き合うのがよいか?
第4章 崇高―恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然

 「崇高なものが登山の本質だ」
 山に対する美意識の転換
 「崇高」概念の転換
 芸術は圧倒的なものとどのように関わることができるか?)
第5章 ピクチャレスク―荒れ果てた自然から絵になる風景へ

 「絵になる景色を探す旅」
 風景画とピクチャレスクの誕生
 ピクチャレスクの広がり(観光と庭園)

 美や芸術は自然とどのように関わることができるか?

 

佐々木健一著『美学への招待 増補版』(2004→2019)

 

二〇世紀の前衛美術は「美しさ」を否定し、藝術を大きく揺さぶった。さらに二〇世紀後半以降、科学技術の発展に伴い、複製がオリジナル以上に影響力を持ち、美術館以外で作品に接することが当たり前になった。本書は、このような変化にさらされる藝術を、私たちが抱く素朴な疑問を手がかりに解きほぐし、美の本質をくみとる「美学入門」である。増補にあたり、第九章「美学の現在」と第一〇章「美の哲学」を書き下ろす。

第1章 美学とは何だったのか
第2章 センスの話
第3章 カタカナのなかの美学
第4章 コピーの藝術
第5章 生のなかの藝術
第6章 藝術の身体性
第7章 しなやかな応答
第8章 あなたは現代派?それとも伝統派?
第9章 美学の現在
第10章 美の哲学

 

渡邉大輔著『新映画論 ーポストシネマ』(2022)

 

あらゆる動画がフラットに流通する時代に、映像を語ることが意味するものは? サイレントから応援上映までを渉猟し、ポストシネマの美学を切り拓く。
『新記号論』『新写真論』に続く、新時代のメディア・スタディーズ第3弾。
NetflixTikTokYouTube、Zoom……プラットフォームが林立し、あらゆる動画がフラットに流通する2020年代。実写とアニメ、現実とVR、リアルとフェイク、ヒトとモノ、視覚と触覚が混ざりあい、映画=シネマの歴史が書き換えられつつあるこの時代において、映像について語るとはなにを意味するのだろうか?サイレント映画から「応援上映」まで1世紀を超えるシネマ史を渉猟し、映画以後の映画=ポストシネマの美学を大胆に切り拓く、まったく新しい映画論。作品分析多数。

はじめに――新たな映画の旅にむけて

第1部 変容する映画――カメラアイ・リアリティ・受容

第1章 カメラアイの変容――多視点的転回
第2章 リアリティの変容――ドキュメンタリー的なもののゆくえ
第3章 受容の変容――平面・クロースアップ・リズム

第2部 絶滅に向かう映画――映画のポストヒューマン的転回

第4章 オブジェクト指向のイメージ文化――ヒト=観客なき世界
第5章 映画の多自然主義――ヒト=観客とモノ
第6章 「映画以後」の慣習と信仰――ポストシネフィリーの可能性

第3部 新たな平面へ――幽霊化するイメージ環境

第7章 アニメーション的平面――「空洞化」するリアリティ
第8章 インターフェイス的平面――「表象」から遠く離れて
第9章 準-客体たちの平面――インターフェイスとイメージの幽霊性

おわりに――ポストシネマのアナクロニズム

あとがき
提供図版一覧
索引

 

松尾大著『〈序文〉の戦略 ー文学作品をめぐる攻防』(2024)

 


文学作品が刊行されたあと非難や攻撃や異議を受けるというのは今日でも目にする光景です。学術的な論文や書籍でも、文学作品でも、盗用の疑惑をもたれたり、実際に告発されたりすることは決して稀ではありません。そういうとき、後ろめたさゆえに無言を貫く著者もいるでしょう。告発はあたらないと思いつつ、言い訳をしないのが美徳だと考えて、あえて反論しないケースもあるでしょう。その一方で、批判は間違っていると確信して反論する著者ももちろんいます。
こうした光景はめずらしくないだけに、あらかじめ弁明や正当化、謝罪や説明を表明する著者がいることにも不思議はありません。本書は「序文」に注目して、作家たちが序文でいかなる戦略を展開しているのかを紹介しつつ、個々の戦略を分類しつつ説明していきます。すでに起きているものであれ、まだ起きていないものであれ、攻撃に対する防御のために利用される戦場が序文であり、そこには文学者たちが編み出した戦略と戦術があるのです。
目次を見ていただければお分かりのように、想定されている「攻撃」は実に多種多様であり、それに応じて「防御」の戦術も多種多様です。西洋古典から近代文学に至るヨーロッパ文学に造詣が深いだけでなく、修辞理論にも通じた著者が、渉猟した膨大な作品から実例を選りすぐりました。そこで繰り広げられている作家たちの戦いの場に、本書で立ち会ってください。文学作品を読んでいる時には見過ごしてしまう巧妙なテクニックの数々を目撃し、驚愕すること、請け合いです。

第I部 序文の防御戦略を記述するさまざまな理論
第1章 伝統レトリック
第2章 メタ談話
第3章 ポリフォニー
第4章 読 者
第5章 言語行為
第6章 ポライトネス

第II部 攻撃側のさまざまな訴因
第7章 涜 神
第8章 猥 褻
第9章 剽 窃
第10章 背徳と反体制
第11章 性別や人種に関する規範に違反
第12章 有害無益
第13章 虚偽と実在指示
第14章 ジャンルの規則に違反
第15章 悪 文
第16章 不出来

11 ジュネット「パラテクスト」弁明、正当化、謝罪、説明を表明などの言語行為をするためテクストの周辺に配備されたテクスト

奥泉光著『雪の階』(2018)

 

昭和十年、秋。笹宮惟重伯爵を父に持ち、女子学習院高等科に通う惟佐子は、親友・宇田川寿子の心中事件に疑問を抱く。冨士の樹海で陸軍士官・久慈とともに遺体となって発見されたのだが、「できるだけはやく電話をしますね」という寿子の手による仙台消印の葉書が届いたのだ――。

富士で発見された寿子が、なぜ、仙台から葉書を出せたのか? この心中事件の謎を軸に、ドイツ人ピアニスト、探偵役を務める惟佐子の「おあいてさん」だった女カメラマンと新聞記者、軍人である惟佐子の兄・惟秀ら多彩な人物が登場し、物語のラスト、二・二六事件へと繋がっていく――。